とうとう25年維持したANAのプレミアムステータスから陥落!プラチナの25年を振り返る
1995年の単身赴任をきっかけに、東京と福岡の往復生活が始まった。
最初は航空会社にこだわりはなく、取れる便での移動。今のようにネットで予約することもせず、旅行代理店か航空会社に直接電話して予約していた。しかし後輩がANAに勤める女性と結婚し、ANAカード会員獲得キャンペーンに協力する形でANAカード会員に。それからは自然とANAでの移動になってしまった。
インターネットの普及で予約も簡単になり、マイレージの積算状況も確認できる。ANAのマイレージ会員になった当初は、海外の航空会社のようにマイレージを航空券に交換できず、マイレージに応じた商品の中から選ぶシステム。最初の年に獲得したマイレージは自転車に交換し、東京での足として壊れて買い換えるまで愛用していた。その翌年からだったか、マイレージが航空券と交換できるようになったのは。ANAカードもSuper Flyer Cardに。それからは溜まったマイレージで海外旅行を楽しんだ。
退職し独立した時点で東京に戻っていれば2拠点生活は解消できていたのだが、仕事のベースを福岡としたことで引き続き東京と福岡の往復生活が続いた。独立をきっかけにflyfishingに本格的にのめり込んでいったのも、福岡を拠点とした事が大きい。
ピーク時には毎週往復、飛行機での移動が年間100回。その結果、年間のプレミアムポイントが10万に到達し、ダイヤモンドステータスの期間が3年ほどあった。時を同じくして羽田空港にSUIT ROUNGE が開設されたが、その存在を知る人は少なく利用者はいつも数人。マッサージチェアで体をもみほぐしながらクラムチャウダーを口に運んでいた。一時期はマイレージを使って頭皮マッサージサービスなんてのもあり、時々利用していた。
携帯電話とメールの普及で、対面での仕事の打ち合わせも段々と減り、無理して移動する必要も無くなったことで移動回数を半分に減らした。毎週往復から毎週水曜日に移動することに変え、週の前半か後半かで東京にも福岡にもいる状況を続けた。これに伴い、搭乗回数も半分になりダイヤモンドから再びプラチナへ。
2020年、新型コロナウィルスによるパンデミック。緊急事態宣言が発出され、不要不急の外出を控え、県境をまたいでの移動が制限された。その結果ほとんど移動できず、航空会社も減便に継ぐ減便。便数が減った上に使用機材も大型機から小型機にシフト。それでも乗客はガラガラの時期が長く続いた。コロナの期間中はステータスの延長、更にはプラチナポイント2倍などの措置が執られ、プラチナを維持。2022年後半からは徐々に移動制限も解除され、便数も元に戻ってきた。それに伴い移動頻度をほとんど元に戻して毎週移動に。
しかし、ウクライナ情勢などの影響で物価が上昇、当然航空料金も高騰。2023年にはとうとう東京~福岡間の航空料金が片道5万円を超えた!これではとても財布が保たない。一方、コロナのおかげで広まったオンラインでの会議や打ち合わせ。ますますリアルで会う必要がなくなり、急な移動はまずなくなった。オンラインミーティングが開催されそうな時間帯でのフライト予約をしなければいいのだ。3か月先だって移動の予定が立てられる。と思っているところに、ANA70周年のスーパーバリューセールがスタート。なんと片道7000円から!キャンセル保険の「そらもよう」を組み合わせても1万円しないではないですか!格安のスーパーバリューで予約してもほとんど問題なし。
それ以来、スーパーバリューセールが開催されるたびに先の飛行機を予約するようになり、予定もそれに合わせて調整するようになった。おかげで毎週の移動頻度を維持しつつ、交通費は半額以下に。その代わり、獲得するマイレージとプレミアムポイントは激減。今年も搭乗回数は多いのに獲得できたプレミアムポイントは29000ポイントちょっと。あと数百ポイント足りずにブロンズさえも到達できなかった。
しかし、ライフタイムマイルは実フライトマイルなので、チケットの種別に関係なく順調に伸ばしている。今年は約942000マイル、提携航空会社まで加えて967,000マイルで終了か。あとANAは58000マイル、提携会社含めれば33,000マイルで100万マイル。この調子でいけば、あと100回、50往復くらい。まあ、ミリオンマイラーになってもネームタグがもらえる以外にはマイレージポイントの有効期限がなくなるくらいしかメリットは無いけど、一つの区切りとして意識しておこう。
福岡を引き払えばそこまで。
さて、死ぬまでにミリオンマイラーとなれるだろうか?