酔って転倒?! 生涯初、救急車で緊急搬送されたらしい(T^T)
眉の辺りに違和感を覚えながら目が覚めると、妙に明るい部屋で耳元で話し声が聞こえる。ぼんやりとしていた視界がだんだんとクリアになってくると、話をしているのはお医者さんであることがわかった。眉の所に違和感を覚えたのは、傷口を縫い合わせていたため。意識がはっきりしてくると、違和感はだんだんと痛みとして感じられる様になった。
ここは何処???? 何をしているの?????
状況が飲み込めていない僕のことを察したのか単に意識が戻ったことを確認したからなのか、眉の傷を縫いながらその医師が淡々と説明してくれた。そこで告げられたことはだいたい以下のような感じ。
・横断歩道を小走りに渡っていて、突然前触れもなく倒れた
・一緒に横断歩道を渡っていた人が救急車を呼んでくれた(何処の何方かわかりませんが、本当に有り難うございます)
・右手親指と鼻を骨折している
・目の上(眉あたり)と目の下の傷口を縫っている
・明日鏡を見たらビックリする
どうしてこんなことになったのか?
説明を受けてもなおピンとこない。そもそも、どうしてここにいるのか?救急車で搬送されたと言われても転んだ記憶すらない。
一日を振り返ると、父の一周忌と長女の33回忌の法要で朝からバタバタしていた。コロナ禍のもとでの法事なので、案内は家族(我が家と弟家族)だけではあったけれども、全員東京からの参加。昨年入籍したもののコロナのせいでまだ母(子ども達からすれば祖母)とは会ったことがなく、今回が初対面となる長男と次女のそれぞれのパートナーも初めての来福。
母のサポートに加え東京から来る4家族との連絡を取りながらお寺さんへと向かう。法要をほぼ予定通りに終了し全員を実家に移動させ、お斎(おとき)の食事会。出前の到着時刻の確認をしたり、自宅へのタクシーの道順(乗ってしまえば5分だけれど、土地勘の無い人には説明は困難)の案内とか細かなことが一人にのしかかってくる。
全員そろい、御斎から酒好きだった父を偲ぶ酒席に。しかし、僕は子ども達のホテルへチェックインやら荷物運びやらもあるのでそれが済むまではノンアルコール。それも済ませてアルコール解禁はちょっと遅れて夕方5時過ぎ。
実はこの日、娘の誕生日でもあったので夕食は近く(歩いて5分ほど)の馴染みのビストロに予約をしていて、夜は場所を変えて誕生パーティ。母からすれば初めて孫夫婦2組とゆっくりお酒を飲みながら話ができたと喜んでいた。せっかく福岡に来たのだから屋台に行きたいと言っていたけれど、生憎の雨だし帰りの事を考えると近くの焼き鳥屋で良いだろうと言うことなった。そこで、これも馴染みの焼き鳥屋に予約を入れ、東京からの家族はそこへ向かわせ母を自宅に送り届けた後に合流することにした。
孫の成長と初めて会ったそれぞれのパートナーに安心したのか、上機嫌の母の腕を取って家まで送り届け、家族が待つ焼き鳥屋へと向かった。待たせてはいけないと、ちょっと気持ちが急いていたのだろう。自分ではそんなに酔っている感じはなかったが、記憶にあるのはここまでだ。
処置を終え、家族と対面
ひととおりの処置を終え、医師からいろいろな説明を受けて(半分は右から左でよく覚えていない)処置室を出ると、家族が待っていた。誰が連絡したんだろう?駆けつけてくれていた母は、病院からの電話で知ったという。居酒屋にいた家族へは母が連絡してくれたらしい。
病院は実家の電話番号をどうやって知った?携帯もスマホもロックがかかっているから救急隊も開くことはできなかったはずだ。そもそも、電話帳を開けてもどれが家族かを判断するのも難しい。朦朧とした中で連絡先の実家の電話番号を口にしたのだろうか?それとも、搬送された先が父が入院していた病院だったので、免許証などの持ち物から実家にたどり着いたのだろうか?
ところで、救急車の搬送自体は無料だけど、病院での処置については当然医療費が請求される。その額なんと17,960円!
明細を見れば納得。気を失っている間にいろんな検査と処置をしていただいていたことがこれで良くわかる。院内トリアージ実施料というのは抗原検査のことだろうか。頭を打っているので、CTの撮影も。
病院を出る前に、ロビーで自撮りをして家族のラインに写真を送った。こんなだけど無事だと。鼻から下ももちろん絆創膏だらけだけど、マスクのおかげでうまく隠れている。この自撮りの写真で今の自分の姿を初めて確認。血だらけのチノパンやシャツ、セーターの袖には穴が開いていた。
とにかく大変な状況だったことだけは容易に想像ができた。
改めて救急車を呼んでくれた方に感謝するばかりだ。
つづく
※この文を書いたのは、痛みも落ち着いた5月2日です。