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2021.09.11

911、同時多発テロの20年前とコロナ禍の現在を重ねてリモートを考える

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20年前の2001年9月11日。この日は日本を大型台風が襲っていて、父の誕生日を二人で酒を飲みながら過ごしていた。ニュースステーションが始まると、久米宏さんが「本来なら台風のニュースから始めるところですが、アメリカから入ってきた映像から」(多分こんなニュアンスだった)と世界貿易センタービルから煙が上がる映像に切り替わった。そして生中継をしているところに2機目の旅客機が突っ込み、やがてビルが倒壊。その後はペンタゴンに別の旅客機が突っ込み、テロ犯に抵抗して墜落した旅客機が出るなど、次から次へと飛び込んでくる新たな出来事の連続にまんじりともせず一夜を明かした。


21世紀になったばかりの世界を大きく揺るがす事件、国際テロ組織アルカイダによる同時多発テロ。この日を境に世界は一変し、アメリカは20年に及ぶアフガン戦争に足を踏み出した。

Dsc00032 同年11月、ニューヨークの現場・現状を自分の目で、肌で見て感じておきたいと、2泊4日の強行軍で出かけた。
911同時多発テロの後、いつどこでまた航空機のハイジャックやテロが起こるかわからないので、日本政府も企業もアメリカへの渡航を自粛するよう求めていた。特にアメリカの航空会社の利用は避けるようにと。
幸い、僕が自己責任で渡航することには、誰かから制限されることも家族の反対もなかった。友人の記者からは「現地に行かせて欲しいと会社に要望したのに、危険だからと行かせて貰えなかった。羨ましい」と言われながら出かけた。
ニューヨークへ向かうANAの便は空席が目立ち、乗客の多くはアメリカ人と思われる外国人。アメリカ本社のクライアントさんでも、アメリカのエアラインは使わないよう指示があったという。

Dsc00033_20210911101801 JFKに到着し、マンハッタンのホテルへ向かおうとタクシー乗り場に向かうと、「タクシーか?」と呼び止められ連れて行かれて乗ったのが白タク。乗ってしまってから失敗した!と気がついたが後の祭り。危ない目に遭いながら(長くなるので割愛)も無事に到着し、NY在住の大学の後輩夫妻と合流した。

まず、彼らに事前にコーディネートしてもらっていた WEBER SHANDWIC (PR会社)を訪問し、911後のNYについてヒアリング。その後動き始めて間もない地下鉄に乗り、グラウンドゼロへ。地下鉄の構内に降りるとまだ焦げ臭い臭いが残り、地上でも南から風が吹くと、焦げた臭いが漂ってきていた。
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地上へ上がると、グラウンドゼロ(もちろん、規制線が張られ近づけない)を見に来た人や行方不明の身内や友人を探す人などでごった返していた。グラウンドゼロは、柵の隙間からようやく見ることができたが、まさに大型爆弾が落とされたような惨状だった。
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夕暮れとなり人影もまばらになる頃、消防署の前を通るとたくさんの花束。グラウンドゼロにも亡くなった消防士へのメッセージが残されていた。誰もが消防士を自分たちのリアルなHEROとして感謝と敬意を示していた。
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繋がりを求めて「リモート」へ

そして夜。向かったのは「Remote Rounge」。911テロの後、疑心暗鬼に陥ったニューヨーク市民は外出も控え、皆StayHome。人の動きは極端に減っていたという。まだスマホも無ければ出会い系サイトもFacebookもTwitterもLINEも無い。誰かと話す機会も減り、特に一人暮らしだと夜出かける場所もなく人恋しくなる。
そこで注目を集めたのがこの「Remote Rounge」。

薄暗い店内には、船の計器のような機器と受話器が付いたモニターが設けられた席が並んでいた(一番上の写真)。モニターには店の入り口や店内に設置されたカメラで入ってくるお客さんや席に着いている人の様子が映し出されている。今のような液晶の綺麗なモニターではなく、一昔前の監視カメラのモニター。鮮明ではないものの席にいる人には店内の様子がわかり、人が座っている席には番号が点灯するんだったか。受話器を取り話したい席の番号を押すと、相手の席に何かの表示が出て、相手が受話器を取れば話をすることができる。

話をすることでお互いを癒やすというラウンジ。街コンや出会い系とは違う静かな空間。顔は見られなかったように記憶している。

そして20年後の今、コロナ禍で再び「リモート」が注目されている。こちらはもちろん、「Remote work」。20年前と同じくStayHomeが求められ、人との接触を避けた。政府や自治体からは、できるだけ出社を控え、同じ空間を共有せず離れた場所で仕事を進めるよう要望された。その結果、リモートワークを進める企業はオフィスを縮小し、在宅やリモートで仕事ができる環境を整えた。僕の事務所も今週、縮小・移転した。リアルでは離れていても、それでもしかしネットなどで繋がっている。繋がっていなければやはり不安になるのだ。

20年前に話を戻すと、NYで僕を迎えてくれたのは大学の後輩だけではなかった。福岡からの旧知の友人であり、朝日新聞NY支社のSさん(今はHuffPost JAPANのCEO)など、多くの日本人が歓迎してくれた。911後日本から誰もやってこ来なくなっていた(それまでは必要も無いのに旅行気分でやってくる上司も多かったらしい)ところに、リスクを顧みず来たと言うことで、NYにいる日本人に声を掛けてくれて夕食は楽しい時間を過ごした。
クライアントさんの広報担当者は本社フィラデルフィアから陸路、わざわざ握手をするためだけにNYまでやってきてくれた。

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現地に2日という弾丸ツアーではあったものの充実した時間を過ごし、再びJFKへ。短い滞在中に一目惚れして購入した大きなアポロロケット(サターンV)を機内持ち込み手荷物として持っていた。セキュリティーが厳しくなり、空港は建物に入るだけでも手荷物検査。きっと中身を確認されるだろうから余裕を持って行った方が良い、というアドバイスをもらい、手荷物検査も無事通過し飛行機に乗り遅れることなく帰国できた。

911から20年後の今年、あの日一緒にニュースステーションを見ていた父は息を引き取った。
本当なら今日、92歳の誕生日を迎えていたのだろうが、そんなに長生きを希望していたわけではなかった。

そんなことを思い出しているところに福岡の母から電話。父が好きだった一番搾りを仏壇に供え、92歳の誕生日を祝っているとの連絡だった。ビジネスはもちろん、冠婚葬祭も法事も、リモートが新しい生活スタイルを作り出すのかもしれない。

 

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