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2020年12月の記事

2020.12.19

テレワークで自宅にいる時間が増え、防災グッズを買いそろえた

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すっかりテレワークが普通になり、会議も打ち合わせもオンラインが当たり前。県庁との会議もビデオ会議だ。
2週間の自宅隔離中はおろか、入院中も病室からミーティングに参加(しゃべれないのでチャットで)してほとんど支障なかった(さすがに手術当日はほぼ終日仕事にならなかったが)。今回のコロナ禍で世の中のテレワーク化が進んだおかげだ。
ただ、クライアントさんや打ち合わせの相手でそれぞれ違うコミュニケーションツールを指定してくるので、PCのデスクトップにはいくつものアイコンが並ぶことになった。今のところ、zoom、Slack、Teams、Webex、Messenger、LINEの6つだけど、まだ増えるかもしれない。

テレワークで気になりだした
災害への備え

入院前も退院後もテレワークでずっと生活の場でもある家に篭もって仕事をしていると、いろんな事が気になってくるものだ。断捨離をする人が増えたというのも良くわかる。うちも断捨離したいが、カミサンがその気にならないことには手を付けられない。で、もう一つ気になりだしたのが災害への備えだ。

ここのところ茨城や千葉を震源地とした地震も続いている。昨日も新島で震度5弱の地震があった。首都圏直下型地震も近いのではないかと思わずにはいられない。
昨年までなら日中は事務所にいるか出かけていることが多かったので、昼間に大地震がが発生した時には外にいる確率が高かった。実際、東日本大震災が発生したときには地下鉄の赤坂見附駅の改札を出て地上に上がるエスカレーターに乗っているときだった。福岡西方沖地震の時には、上津江で釣りをしていた。一方、阪神淡路大震災の時は早朝で、揺れで目が覚め(東京も揺れた)、どこかで大きな地震が起こったに違いないとすぐにテレビを点けた。テレビに映し出されたのは、当時の勤務先の大阪支社が入居してた梅田第4ビル(だったと思う)に隣の大きなクレーンが倒れている映像だった。

テレワークでずっと自宅にいるので、昼でも夜でも地震が発生すればほぼ間違いなく自宅にいる。最近増えた大型台風の接近の際には計画運休もされ、ビジネス活動も一時ストップするので、やはり自宅にいることになる。これから大きな自然災害が発生することがあれば、恐らく自宅で経験することになるだろう。そう考えると、自宅の備えが気になりだした。

インフラが3日間止まったら

大地震でも台風でも、あるいは水害でも今住んでいるマンションは持ち堪えるだろう。被災しても雨風はしのげる。しかし、電気、水道、ガスの生活インフラがストップすれば、備えがなければ避難所へ行くしかない。ところが、昨年・今年の大型台風で避難指示が出た地域では、避難所が一杯で受け入れを拒否された所もある。可能であれば自宅でインフラの復旧を待つのが一番安心だ。

水や保存食は日常の備蓄で3日くらいはなんとかなりそう。カセットコンロがあるので、お湯を沸かすことも可能だ。息子のキャンプ道具も役に立つ。ポータブルラジオもある。一番の問題は電気だ。スマホのバッテリーは持っても1日。PCも数時間。情報収集や外部との連絡には電話やインターネットが繋がることが最低条件。通信インフラもストップする可能性は高いが、携帯電話については大手キャリはは移動式の基地局を稼働させるなどして、比較的早期に回復させている。しかし通信インフラが復旧したときにバッテリー切れでは話にならない。

 日常的には10000mAHのモバイルバッテリーを持ち歩いているが、これではPCへの電源供給はできない。ガラケーの充電もコンセントが無いとできない。そこで、AC電源も取れる携帯バッテリーと太陽光パネル発電機を購入した。

20201214-112557s携帯バッテリーは72000mAHなので、これだけで3日間はもたない。切れれば充電の必要もある。バッテリーへの電源供給のために、出力80Wの太陽光パネル発電機も追加で購入。もちろん、ここから直接スマホの充電も可能だ。試しに室内で広げて窓からの光で試してみたら、しっかり発電して携帯バッテリーへの充電が確認できた。天気さえ良ければこれで日中に充電が可能だ。

残る心配はトイレ。排水管・下水管が無事ならばお風呂の水で流せるが、見えない所なので不用意に流すとどっかに汚水が漏れる心配もある。そこで、洋式トイレにかぶせて使える簡易トイレ50回分も購入。

考えてみると、退院後の食事はまるで被災した時に備蓄している物を食べているのと変わらない状況だった。避難生活の予行演習をしたようなものだ。

電気が止まるとエアコンも使えなくなるので、暑さ寒さは衣服で調整しながら耐えるしかないが、自宅で3日くらいならなんとかなりそうな感じにはなっただろうか?

できることなら無駄な出費で終わって欲しいものではある。

 

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2020.12.13

鼻からチューブで栄養補給の1週間

舌がん疑い、MRI・CT検査、2週間の自宅隔離、PCR検査、そして から続く

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PCR検査も陰性で無事手術に向けて入院することになった。入院前2週間の毎日の検温表、問診票、手術の承諾書、健康保険限度額適用認定証(事前に健康保険組合に申請)など多くの書類と、入院のために購入した前開きパジャマ(多分社会人になって初めて)と着替え、タオルや洗顔用品、それに病室でも仕事ができるようにPCとポケットWifi、テーブルタップなどをカバンに詰めて指定された時刻に入院手続き。

昨年建物が新しくなったばかりの日大歯学部附属病院は、病室も最新で清潔。同じフロアにお風呂も全自動洗濯機もあり、長期入院(したくはないけど)しても不自由は無い。ただし、院内にコンビニや売店はなく、飲み物の自販機があるだけ。このコロナ禍で面会もできないので、もしも必要な物や欲しいものがあれば、誰かに言付けてナースセンターに届けてもらうしかない。

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入院時は4人部屋に1人(途中からは3人に)という静かで安心できる環境(大腸ポリープの摘出手術で2泊入院した際は、同室の患者さんが夜通し「痛いよー、苦しいよ~」とうめき続けてほとんど寝られなかった)。荷物を整理し、明日の手術に備えてお風呂に入り(次回、何時入れるかわからない)パジャマに着替える。
6時に夕食(これが形のある最後の食事。これ以来まだ固形の食べ物を口にできていない)、9時の消灯まで仕事を続け、電気を消して翌日の手術に備えて早めに就寝。

麻酔って凄い!あっという間に寝て手術は終了

朝7時に検温、8時に術衣に着替え(パンツはT字帯、足にはサージカルソックス)手術に備える。9時前に点滴を始め手術室に移動し、手術台に横になる。「麻酔を入れます」の声までは聞こえたが、その後は深い眠りに。

名前を呼ばれて目が覚めたのは病室。時刻を聞くと手術室に入ってから3時間ほど過ぎていた。
朦朧としたなかで、あそこに違和感と微妙な尿意。尿管が挿管されているためだった。ああ、寝ている間に僕のあそこを…… 看護師さんにその尿管を抜いてもらい(抜くときにはちょっとした痛み)、自由に動き回れる(点滴がなければ)ようにはなった。
飲食禁止、発語も禁止(筆談用の小さなホワイトボードが用意された)、歯磨きももちろん禁止の生活が始まった。

患部の痛みよりも鼻チューブの苦しさ

不思議と手術した患部の痛みはそれほどでもなく、退院まで痛み止めを飲むことなく過ごせた。看護師さんに言わせると、とても珍しいらしい。それよりも鼻から胃に通したチューブに苦しめられた。
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術後、患部を守るため口には何も入れられないので飲食はできない。その間の栄養補給は、鼻からチューブで胃に流す。毎食400ccほどの液体(プロテイン溶液のようなもの?)を1時間ほどの時間をかけて胃に落とす。食後?はチューブに注射器を差し替えてお茶をコップ一杯分注入。これを1日3回、毎食続けた。
栄養管理された液体は、どうやらコーヒー牛乳のような味の物らしい。もちろん口を通っていないので味はわからないが、胃から上がってくるゲップではないが空気というか、鼻に抜ける時にコーヒー牛乳のような「味」と臭いを感じた。退院しても暫くはコーヒー牛乳は遠慮したい。

1日3回の検温(と血圧測定)、1回1時間の食事を3回、午前9時半の処置室での検診など、意外と忙しい。その合間を縫ってPCに向かいメールのチェックなど仕事を続けたが、もちろん効率が悪い。なんといっても口の中は痛いし違和感はあるし、鼻と喉も痛い。入院中は時間を持て余して映画が一杯見られるかと思っていたがとんでもなかった。

何よりも鼻から胃に通したチューブ。喉に当たっている部分に違和感があるし、ずっと動かずにいると食道の同じ場所にへばりつくような形になるのか、痛みを感じるようになる。首を回したり身体をよじったり、チューブを適当に動かすようにしないといけないことがわかってきた。それは夜中でも同じ。喉が痛くなると寝返りを打ったりしてチューブの位置を動かす。鼻が詰まってもチューブがあるのでうまくかめない。お風呂に入ろうにも、鼻からぶら下がったチューブをどうするのか?と、とにかくこのチューブが邪魔で仕方がない(とは言っても、このチューブから栄養を補給できて、体調は維持できているのだけれど)。

手術から5日後、やっと鼻のチューブが抜かれ、その解放感といったらもう!

医療従事者のみなさまに感謝です

チューブが抜かれても普通の食事ができるわけではなく、全がゆとミキサーか何かで細かくしたりすりつぶしたしたおかず。最初は1時間かけても全部食べることはできなかった。他の人が食べているメニューをそのまま細かくしているので、例えばかき揚げうどんの日はペースト状に細かくされたかき揚げが出てきた。天ぷら油の臭いでかき揚げだと判るが見た目は茶色いペースト。基本、魚や肉のメインの料理はペースト状にするとほぼ茶色になるので僅かな味の違いがあるだけで、なんの楽しみも無い。唯一デザートは潰したフルーツやゼリーなので見た目にも美味しそうで残さず食べられた。こうして退院に向けて体調を整えていった。

入院中、朝の検温に始まり食事の対応、検診、その他諸々、一日に何人の看護師さんと医師が入れ替わり立ち替わりでベッドに足を運んでくれたことか。患者ひとりに、一日で述べ何人もの人が関わる医療現場。今、コロナ禍で医療現場の逼迫が言われているが、重症、軽症にかかわらず入院患者が増えれば多くの人手がかかることは明らか。この現状では、入院しなくて良い軽傷者や無症状者は入院させるべきでは無いなと強く感じた。

術後の経過も良く、入院して8日、手術した7日後に無事退院となった。

退院後の今は

20201213-144217s 入院期間中にもっと体重が減るかと思っていたが、3kg減程度。全く動いていなかったし、栄養管理されていたからか。
退院後も暫くは自宅ではおかゆや流動食中心の食生活。朝食はヨーグルトとバナナジュース、昼食はカロリーメイトのゼリータイプとポタージュスープ、夕食はレトルトのおかゆやおじやに豆腐やマグロのネギトロなど。生野菜の代わりに野菜ジュース、おやつはプリンという日々。

普通の食事ができるのはいつなんだろう?じっと我慢の日々です。

追記

退院後最初の検診で、切除した舌の精密検査を行った結果を知らされた。想定外にがん細胞の存在が確認され、stage1の舌癌であったことになった。切除面にがん細胞は認められなかったので、転移の可能性は低いものの今後1年間は3カ月毎のMRI・CTによる検査、その後1年毎の検診を5年間の経過観察が必要と告げられた。また造影剤かあ……

多分、今回の原因となったであろう歯は抜いたし、転移していなければ再発は無いだろう。と楽観的に渓流の解禁を待つことにしよう。

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2020.12.10

舌がん疑い、MRI・CT検査、2週間の自宅隔離、PCR検査、そして

それは、2年前に遡る。

舌がんかもしれない!?

2018年8月、かかりつけの歯科医に虫歯の治療に出かけた時に、「舌の裏の白くなってるところ、ガンかもしれない。紹介状を書くので大学病院で診てもらってください」とその足で日大歯学部附属病院に向かった。表面の組織をこすり取り調べた結果は特に問題はなく、「一時的なものでしょう。いつまでも治らないようだったら改めて来てください」ということで一旦事なきを得た。

市販の口内炎の薬を使いながら様子をみていたが、年が明け半年経っても治る様子はない。そんなときに堀ちえみさんの舌がんのニュース。ネットのニュースなどを見ると、よく似た症状。心配になり再び日大歯学部附属病院へ。しかしこの時も前回と同じで特に心配するような状況ではないということでそのまま帰った。

そして今年になっても相変わらず治る様子はなく、むしろ以前よりも症状は悪化してきた感じ。急に視力が落ち、2月には大腸ポリープの摘出手術もするなど、年齢を重ねる毎に身体のあちこちに綻びが見え始めてきた。そもそもの治癒能力も落ちてきているのだろう。
口内炎も酸っぱい物や辛いものが染みるようにもなってきて、これはまずいかな?と思い始めたところに新型コロナ感染症のパンデミック。飛沫感染を避けるため、3蜜回避、外出自粛、人との接触を避けるよう要請が出され、町から人の姿が消えた。舌の状態を再度診てもらいたいと思ったものの、感染が拡大する東京へ戻る回数も減ってしまった。3月から3ヶ月間は県境を越えて福岡県を出ることさえ避けていたのだから。

まさかの手術を言い渡される

緊急事態宣言が解除され第2波も落ち着いたので、まず舌の口内炎の原因と思われる極度に内側に曲がって生えている歯を抜いてもらうことにした。抜かれた歯は、カシューナッツのように曲がっていた。この先端が舌の裏側を擦って口内炎を引き起こしていたに違いない。

抜歯した翌日、日大歯学部附属病院に予約の電話を入れ、翌週口内炎を診てもらうことにした。ここで驚きの展開に。
最初に受診してから2年。あまりにも治りが悪いうえに範囲も広がっているというので、これまで出てきたことがない教授の先生が登場。今回も、表面の細胞を取って調べた結果では癌では無かったが、癌でないにしても、白化した患部は切除した方が良いだろうと。

まさかの手術だ。しかも、全身麻酔をしての手術で、術後は少なくとも1週間は入院が必要だというのだ!突然、手術、入院に向けたスケジュールや段取りの説明が始まった。

再び舌がんの可能性を指摘され

表面の細胞ではわからなくても、周辺や深いところで細胞が癌化している可能性もあるという。まずは、患部の一部を切除して生検に出すことになった。そのためには切除後の患部を保護するために、事前にシーネ(マウスピース)を作成して準備しなければならない。歯型を取ってシーネができるまで1週間。その後に患部の一部を生検に出す。もし癌化していれば、どの程度まで進行しているかさらに精密な検査をして切除範囲を決めなければならない。諸々の検査や準備が必要で2カ月後に手術となった。そのため、10月中は毎週東京と福岡を行ったり来たりすることとなってしまった。

初めてのアレルギー反応が!

20201112-190005s 生検の結果は、「癌でないとは言い切れない」という、なんとも微妙なもの。そのため、引き続きMRI、CTによる検査を受けることに。MRIはこれまでも何度か経験があるが、造影剤を使ってのMRIは初めて。CTも初めての経験で、こちらも造影剤を使う。このCTの造影剤で、生まれて初めてのアレルギー反応を経験することになるとは。

20201115-184826s MRIもCTも検査前に医師からの問診を受け(MRIとCTは別な日)、検査が終わった後には造影剤によるアレルギー反応がでた場合の連絡先など細かに説明を受けた。その時にはまさか自分にアレルギー反応がでるとは思ってもいなかった。MRIでは何事もなかったがCT検査を受けて帰宅し、夜になって腕やお腹周りに赤い発疹を確認。深夜になると痒みを感じるようになり、全身に発疹がでていた。

症状が出たら時間外でも連絡するようにとのことだったので、深夜2時であったが連絡。症状としては全身に発疹が出ているものの熱は無く、痒みもそれほどのものではなかったので、様子を見て症状が治まらないようだったら皮膚科で診てもらうようにということになった。発疹はその後数日で治まった。

2週間の自宅隔離とPCR検査

発疹は残っているものの口腔外科での術前検査に日大付属病院内科での検診と、人間ドック以上の入念な検査(1カ月で血液検査だけで4回!)を経て、手術に支障は無いとのお墨付き。そして入院直前の2週間は自宅隔離(といっても家族とは一緒)を厳命される。コロナに感染したら入院はできない。手術日も改めて設定し直しとなってしまう。この2週間は一度だけ散歩に出た以外は外に出ず、家族以外とは話もしていない(PCR検査除く)。

2週間の自宅隔離生活は、一人暮らしだったら食料の確保だけでも大変だったし、何よりも健康で元気な身体なのに外に出られないストレスは結構なものだ。自宅だから我慢できたが、無症状の陽性者がホテルで2週間の隔離生活を抜け出す気持ちもよくわかる。

そして入院直前にPCR検査を受け陰性確認。無事入院・手術となった。

つづく

 

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