スーパーで「ウォーリーを探せ」体験
年末年始は家族と共に過ごすため、福岡の実家を1週間ほど離れる。
僕がいないと車を運転する者がいないため、灯油や大きな荷物になる物は買っておかなければならない。お正月の準備の買い出しに、母親と安くて人気のいつものスーパーに流星号で出かけた。
いつもの週末よりも車もスーパーのお客さんの数も少ないが、それでも多くの買い物客で賑わっている。自分の買い物ではないので、基本的にはカートを押しながら母の後ろを付いて行くだけ。しかし、狭い通路で多くのカートと買い物客が入り乱れ、思うように前に進めない。今まで目の前にいた母親を、直ぐに見失ってしまう。距離なんて5mか10mも離れていないのに。
冬のスーパー、しかも買い物客の多くが年配だと、ほとんどの人が同じに見えてしまう。皆、黒やダークカラーの帽子をかぶり、同様に黒いジャンパーや上着。そしてポシェットや小さな鞄を肩から斜めにかけている。お年寄りは男も女も、ほぼ同じような感じ。下半身は野菜の陳列棚やカートで隠れているから全く見えない。だから、母親であると判別するためには、顔を見るしか方法が無いのだ。後ろ向きになられたらもうだめ。
まさに、ウォーリーを探せの状態なのだ。
欧米では、お年寄りでもカラフルな服装なのに、どうして日本人は年を取ると同じように地味になっていくのだろう?
横並びを意識する、他の人と同じ事をすることで安心するからなのだろうか?それとも、黒や濃い色が日光の熱エネルギーを吸収して暖かく過ごせると言うことからなのだろうか。なんてことを考えていたら、そういう僕のスーツもコートもみんな黒やチャコール系の色ばかりだった。
午後の飛行機で東京に来ると電車に乗っているお年寄りは多いけれど、地味な服装は福岡のスーパーほどではなく、もう少し彩りも多い。やはり都会の垢抜けたお年寄りは、違うのか。あるいは、いろいろな国籍の人がいるからなのかもしれない。
子どもの頃からカラフルな色の服を着て色使いやファッションに関心が高い今の若者や子ども達なら、きっと年を重ねても地味な服装になることはないのかもしれない。
因みに、普段両親と一緒に買い物に行くときには、僕はできるだけ青や白など、わかりやすい色の上着を着て同行するようにしている。こちらからは探しづらくても、向こうからは直ぐに見つけられるように。老眼が進んで景色がぼやけていても、色の違いで見つけられるから。
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