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2013.11.13

2002年グアム島の台風ポンソナの記憶と重なるフィリピンの台風被害

フィリピンを襲った台風30号の様子を見ると、2002年にグアム島で体験した瞬間最大風速83mの台風を思い出す。その時の様子はリンクのページを見てもらうとして、台風後の避難生活について11年ぶりに振り返ってみる。

2002年12月初旬、グアム島で巨大台風の直撃に遭遇し、深夜暴風雨の中、宿泊者同士手を繋いでホテル間を非難。空港施設も被害を受け、3日間足止めをくった。このときはまだ携帯電話の国際ローミングは始まっていなかったか、日本との通信手段は固定電話のみ。インターネットも国際電話で日本のプロバイダーに繋いでいた時代だったと思う。台風で島内のインフラはほぼ壊滅状態。電話、水道、電気……全てストップ。もちろん日本にその状況を伝えることもできなかった。

このとき宿泊していたのはPIC(Pacific Island Club)グアム。素晴らしい対応に今でも家族全員が感謝し、昨夜もフィリピンのニュースを見ながら家族でグアム島のことを思い出して話した。

Dsc00614ホテルの客室は半数以上が使用不能となり、宿泊者全員を使用可能な部屋1部屋に5人ずつ割り振り直し、空港再開までの避難生活が始まった。11年前、長男は小学6年、真ん中は3年、一番下は保育園児。家族5人だったので、我々は1家族で15階の1部屋が与えられた。
エレベーターも停まり、部屋のトイレも使えない。もちろんシャワーも。電気はホテルの自家発電で、使用は制限されたが暗くはなかった。トイレを流す水は、ホテルのスタッフがプールの水を汲んで上のタンクに移していた。トイレもなにも1階まで下りなければならず大変だったが、特段の不自由は無く、最初は大変だと思った15階までの上り下りも苦も無くなった。宴会場ではスタッフがいろんな遊びをしてくれていたので、子ども達も退屈はしない。

台風の日から、ホテルは宿泊費を無料とし、ビュッフェで3食無料で提供してくれた。食事は、「限られたホテルのストックで提供されているので、できるだけ分け合って食べてください」と書かれていた。こういうときには、日本人の慎ましさ、謙虚さ、おもいやりがよくわかる。一方、彼の国の人たちは、我先にお皿に溢れんばかりの料理を盛り、テーブルにたくさんのプレートを並べてみんなで囲んでいた。彼らが立ち去った後のテーブルは、想像に難くない光景となった。

ホテルフロントには、特設の電話が1台設けられ、1日に一家族1回1分だけ、無料で電話をかけることができた。もちろん国際電話だ。毎日多くの人が電話の前に並び順番を待つが、混乱も無くむしろ和やかに会話をしながらという雰囲気。並べばかけられるという安心からだったのだろう。僕は事務所に電話をし、スタッフに現状を伝え、クライアントさんや実家への連絡を依頼した。あとは空港の再開を待つことしかできない。課題は何の邪魔も入らない、しかし不安でいっぱいの家族との時間をどうすごすかだ。シャワーは浴びられないけれど、やはり1回くらいは海にも行こうと、1度だけ海に入った。

Dsc00618毎日フロント前には模造紙が張り出され、空港や各航空会社の状況、周辺の復旧状況などを英語、日本語、韓国語などで伝えてくれた。そして、台風から3日目だったか、空港が再開されるとの告知が張り出されると、にわかにホテル内が活気づいてきた。
部屋に戻り、家族に空港再開の事を告げ、ベランダで休んでいると、そこらじゅうから歓声と口笛。みんなで海の向こうを指さして。視線をそちらに向けると、旅客機の姿。まっすぐ低空で、翼を振りながら真上を通り過ぎていった。グアム国際空港の滑走路はタモンビーチと平行に設置されているので、通常ならこの航路を飛ぶはずは無い。きっと、パイロットのパフォーマンスに違いないが、ハリウッド映画でありそうな場面だ。
この旅客機の到着を皮切りに、各航空会社が次々と運行再開を発表した。
まず最初にアメリカの航空会社の便が再開し、宿泊客がホテルを続々とチェックアウトする。みんな笑顔で、ホテルスタッフに口々にお礼を言って。
しかし、日本の航空会社と言えば、運輸省の離陸許可が出ないからと一番最後の再開。理由は、グアム島の空港施設・整備施設が完全に復旧していないので、日本の空港に着陸許可できる整備ができないからだと。
結局、アメリカの航空会社の運行再開から1日遅れ、その翌日早朝の便で、やっと帰国の途に着くことができた。

チェックアウトするときに請求されたのは、最初の1泊の宿泊費のみ。こちらはいろいろとお世話になって割り増しで払いたいくらいだったが、そこはホテルのプライド※だろう。あれからグアム島は訪れていないが、行くことがあれば、迷わずPICを選ぶし、これから行く人には是非勧めたい。

Dsc00620やっと空港にたどり着いたとき、子ども達は疲れ切っていたのか安堵感からか、もうぐだぐだだった。
帰国の飛行機、ずっと風呂にも入っていない乗客ばかりの全日空機。CAさんは面食らっただろうなあ。

日本に帰って、ホテルにお礼のメールを出したと記憶している。SNSが普及した今なら、このPICの対応は、多くの宿泊者によってfacebookなどで知られることになり、きっとネットでも評判になってることだろう。
避難場所でいっしょに肩を寄せ合って励まし合っていた日本人とは、今でも年賀状のやりとりが続いている。

今もレイテ島で連絡が取れない日本人が103人いらしゃるという。無事であることを祈るばかりです。

※直ぐそばの高級ホテルは被害も少なく、その代わりに台風の直後に宿泊客に新たなデポジットを要求したそうだ。そして、払えないなら出て行ってくれても良いと。

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