Facebookとスギちゃん人気の共通点
Facebook の「いいね!」とスギちゃんの「ワイルドだろ~?」に共通点があることに気がついた。
僕にとってのFacebookは、twitterの延長に近いから、書き込みもつぶやきに近い。方やフェイスブックでは、文字数に制限がない分だけ「考え」や「思考の整理」的な書き込みもする。
そんな使い方をしていると、twitterでも誰かのつぶやきで共感や驚きを感じると、つい「いいね!」ボタンを探してしまうが、twitterではそれは無いことに気付く。
代わりがRTなのだろうが、「いいね!」の意思表示ともニュアンスは違う。
ところで、Facebook 利用者の多くは、友達同士のコミュニケーションを楽しんでいる。
しかし、「いいね!」や「シェア」という機能があることによって、友達の枠を超えて、友達の友達やその周辺にまで何かを伝えたいとか、自分をアピールしたいと思う人間も出てくるものだ。さらには、見ず知らずの人にまで友達申請をして、友達の多さに自己満足する者までいる。
承認欲求を満たすツールとして、Facebook やYouTube を使っている者も多い。
「こんな発言する俺っていかすだろ?」とか「こんな動画見たことあるか?びっくりしただろう?」とか。
そう、スギちゃんが、「ワイルドだろ~?」と同意を求めるように。
スギちゃんのそれは、否定される事を承知の上での、半ば予定調和を強制するオヤジギャグ。
Facebook で日夜繰り広げられている「この話良いだろ?」「こんなことする私ってすてきでしょ?」「前向きに生きてる自分を見て!」的な投稿や、他人の書き込みや報道される美談・トリビア的な話題をシェアして、多くの「いいね!」を期待する人々。
中には「嘘」や「ヤラセ」、「デマ」、「釣り」も多く含まれているかもしれない。
これまでのネット利用者ではROMに徹していた人でも、自分では何も発信しなくとも「いいね!」ボタンを押すことで自分の存在をアピールしたり、自己確認したりする人もいるのだろう。
こんな人にとっては、友達(リアルに友達でアルか否かは既に曖昧)から「いいだろう~?」と問いかけられると、「いいね!」と応えざるを得ないだろうし、そんな人をターゲットにするかのように、宗教家のような振る舞いをする人も多く現れてきた。
何かにすがりたいのか、あるいは導いて欲しいのか、そんな宗教家の投稿に「いいね!」やコメントが多数寄せられる。まるで信者のように。
SNSは、新興宗教を生み出すきっかけになり、布教の新たなツールとなっているのかもしれない。
だからといって、スギちゃんが教祖になれる訳はなく、むしろ一発屋で終わるのではないかともささやかれている。スギちゃんには来年も引き続き頑張って欲しいが、Facebook で宗教家のような振る舞いをする「似非」人格者の方は早く消えて欲しい。
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コメント
いつも楽しく読ませていただいてます。
Facebook上で行われている「俺って前向きだろう~」
「私って素敵でしょ~」の連呼、
僕も、うっとうしく感じることが多いです。
数年前に「mixi疲れ」という言葉が話題になりましたが、
FacebookでSNSデビューした人達にも、
そろそろ疲れが出てくる時期なのではと
想像してるんですけどね。
実名制で、しかもリアルな人間関係と重なる部分が多いため、
Facebookの息苦しさは
mixiより格段に強いように感じますので(^^)
投稿: 白谷 | 2012.12.13 07:05