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2012.10.20

やはり紙の情報誌(リクルートブック)は必要だ

大学生の就職難が続いている。
我が家の長男も苦労しているがそれはさておいて、どうして就職難なのか?
求人数と求職者数の数字だけでいえば、そんなことはない。ワークス研究所調べでは、2013年卒業予定者の求人倍率は1.27倍。全国の民間企業の求人総数は、55.4万人、学生の民間企業就職希望者数は、43.5万人で求人の方が多い。数の問題ではなく、最適なマッチングができないためで、このままでは多くの学生が就職できずに4月を迎える。

Img_0545s_2今年のノーベル経済学賞は、マッチング理論とマーケットデザインに関する研究でアルビン・ロス米ハーバード大学教授とロイド・シャプレー米カリフォルニア大学ロサンゼルス校名誉教授に決まった。これはちょっと中身を理解するには高度すぎるが、この研究が進むと様々な分野で最適なマッチングが可能になりそうだ。
将来はこの理論を元に、就職を目指す学生と求人する企業とのマッチングが簡単に行われるようになるかもしれない。その時は、締め切りを決めて企業、学生がそれぞれ必要項目を登録、スーパーコンピュータかなんかでバッチ処理でマッチング結果を出して、「あなたのベストな就職先はここです。受け入れますか?」と通知されることになるのだろうか。そうなると、ビジネスモデルも変わるだろうが、なんかSF映画の誤った未来像みたいで現実にはならないだろう(なって欲しくない)。

将来はどうだろうと、今の状況(就職難)になった原因の一つが、NETに依存しすぎた就職・求人活動だろう。
そもそも、学生も企業も高望みをする。
デジタルなマッチングだけでは、現実の姿と高望みとのギャップは埋められず、ある程度のふるいにかけた後は実際に対面しながらその溝を埋めたり深さを測ったりするのだ。
最初の段階-学生が企業検索を始める段階で、多くの場合は既にギャップは発生しているのだが、デジタルに処理されるとそのギャップを埋める術がない。検索条件を変えながら色々探すにしても、大半の企業は本来ならマッチングするべき学生の目に触れることはない。その結果が就職難の実態ではなかろうか。

デジタルでは、反応の速さや正確さが求められる。そこには、偶然やひらめきが入り込む余地はない。一方、人生は偶然や出逢いの連続によって編み上げられ作られていくものだ。
先のpostでも書いたが、僕が、進学リクルートブックで偶然目にした防衛大学校を受験したように、紙の情報誌であれば、思いもよらない出逢いや発見もある。就職活動も、紙のリクルートブックが無くなった弊害は小さくない。いや、むしろ学生の人生を考えれば、出会えるべき機会を奪ってしまったと言って良いかも知れない。規格化した基準に乗らない、数値化できない価値、魅力、思いは、情報項目からは見えてこない。人は人に引き寄せられて集まるものであるならば、人の魅力をデジタルに数値化して伝えることは難しい。そもそも大学卒業時点で自分のやるべき事、一生涯取り組むべきことを決めている、わかっている人間はほんの一握り。ほとんどはゴールの目的地を決めずに、時間制限だけがあるラリーに出発するようなものだろう。
かくなる上は、「犬も歩けば棒に当たる」ではないが、とにかく現実世界で動き、人に会うことだろう。
昔は「若者よ、書を捨て街へ出よう」と言ったものだが、今は「若者よ、モニターから離れて街へ出よう」だろうか。

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