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2017.03.03

40年前の「親不孝通り」と大学受験日の記憶が蘇った朝

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先日、白木正四郎さんの「ゴルゴダの火」出版パーティに出席した。かれこれ20年ほど前からのご縁で、今回のパーティの御案内をいただいた。白木さんと言えば福岡では誰もが知る存在ではあるけれど、親不孝通りと共に語られることも多い。先日、「親富孝通り」から「親不孝通り」に戻ると発表されたばかりのタイミングでのパーティ。

会場に着くと、席は指定してあり、斜め前は白木さんのお兄さんの大五郎さん。お兄さんが「五」で弟さんは「四」というのは真田家みたいとひとしきり盛り上がった。他の出席者も各界の有名人やマスコミ関係者など、白木さんの幅広い人脈を物語る顔ぶれ。
僕は書評は得意としない(かつて、ダヴィンチ創刊の時に編集長を打診されたが断った)ので、本については多くは語れないが、帯をみるだけで感心を持つ人も多いのではないだろうか。是非購入して読んでいただきたい。

40年前雪が振り、親不孝通りを歩いて受験に向かった

このパーティに出席して、改めて親不孝通りの記憶がいろいろと蘇ってきた。

40年前、僕は高校3年の受験生。当時は共通一次試験(今のセンター試験の前身)スタート前。国立大学は一期校と二期校とで入試日程が分かれていて、一期校は3月の第一週の土日(昭和52年は3月5,6日)というのが通例だった。そしてその受験前日に雪が降ったのだ。今年に当てはめれば今日ということになる。今でこそ3月最初の週末はヤマメ解禁で待ち遠しいのだが、40年前は運命の週末だったのだ。

僕が受験した九州芸術工科大学は当時最小規模の一期校(1学科定員30人の4学科、全学生数約500名)で、受験会場となるだけの教室を持っていなかった。そのため、受験会場は親不孝通りを抜けた所にある予備校「英数学館」だった。
前日に降った雪が道路に残り、歩道の残雪は朝の冷え込みでカチカチに凍っていた。試験会場に入るために門を通過しようとした時、前を歩いていた受験生が氷に足を滑らせてよろけた。それを見ていた会場の係員が思わず「滑った!」と。その受験生は「縁起でもない!」と言いながら会場に入っていったのをよく覚えている。彼は合格できたのだろうか?やっぱり滑ったのか?

無事合格することができた僕は、コンパといえば親不孝通りの店で朝まで飲んだくれていたものだ。そして学生時代最後までバイトをしていたイベント会社SOMETHINGも親不孝通りから30mほど入った所にあって、授業とヨット以外の学生時代の多くの時間をこの一帯で過ごした。そんなことを思いだしながらの朝。

昨日とうって変わって(40年前とも違う)穏やかな天気のひな祭り。そして明日は今年の初釣行。
明日もこんな穏やかな天気であって欲しい。

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