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2014.03.11

3回目の3月11日を迎えて

お客様との打ち合わせを終え、ビルの外へ出て時計を見ると、ちょうど2時46分だった。
被災地を始め、日本中多くの場所で黙祷が捧げられている時刻だ。午後に乗った地下鉄では、2時46分に全電車を停めて大地震発生時に備える、「全列車一旦停止訓練」を実施するとアナウンスされていた。地下鉄も停止しているはずだ。

僕は、この時刻を確認したとき、あたりまえだけれど3年前の事(翌日のブログに詳述)を思い出さずにはいられなかった。それは被災地のことではなく、その時刻から家族の全員無事を確認できる迄の、自分の行動と自分で見た世界のことだった。
激しい揺れに見舞われ、「とうとう首都園直下型地震が来たか!」と覚悟し、自分の身を守るためにすべきこと、これから起こるであろう事を想定して家族の安否確認と指示を出すことを考えていた。それは、2005年の福岡西方沖地震(一度目の発生時刻には、上津江の川で釣りをしていて揺れには気づかなかったが)やグアム島での巨大台風を経験していたことは大きかった。

とにかく自宅へ、家族の元へと歩き始め、途中公衆電話ボックスから自宅への電話が通じて、子ども達の無事は確認できた。歩きながらも、途中途中でWIFIが繋がるところではTwitterやネットで情報収集を続けた。
実際、震源地が東北沖であったことや大津波が襲ったことなどは、4時間半歩いて無事に自宅に帰り着き、テレビを見て初めて具体的に知った。東北の地震被害や大津波が港や街、空港を襲う様は、テレビのどのチャンネルでも流されていたが、どこか違う世界の様子を流しているかのようだった。
22時を過ぎた頃に妻がやっと帰宅し、家族全員が揃って初めて客観的にニュースを見ることができるようになり、その被害の大きさに改めて愕然とした。

そう、被災地や被災者のことへ思いが至るのは、自分の身の安全、身近な人の安全が確認できて初めてできることだった。身内の安否が不明であったりすれば、その人にとっては何よりもそれが一番重要な問題だ。ビートたけしさんが3年前のインタビューで語ったように、何万人の死者がいようと、その人にとってはたった一人の死が何よりも重たいし、無事が何よりも有り難い。他の何万人のことなんか考える余裕は無いのだから。
何時いかなる時に、自分が被災者になるとも限らない。被災者を助けるためには、それを助けることができる者が残っていなければならないのだ。

あの日から3年を迎えて改めて思う。
もしもその時が来たら、被災者・被害者にはならず、助けの手をさしのべられるだけの準備をしておきたいと。

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