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2013年5月の記事

2013.05.31

セブンイレブンが、田舎のスタバになる日

20130525_055605s最近、釣りに行く途中、夜が明ける頃にセブンイレブンに寄り、コーヒーを飲むことが一つの楽しみになっている。
100円で十分に美味しい。

セブンイレブンといっても、町中ではない。
近くにはスターバックスどころかマクドナルドもHOTMOTTOも、喫茶店さえも無いような、山に向かう国道沿い。
しかし、セブンイレブンのコーヒーメーカーの前には、早朝なのにコーヒーの順番待ちを見ることさえあるのだ。
スターバックスなんて足を運んだことも、見たことも無いだろう田舎の農村のオジサンが、朝からセブンイレブンで談笑しながらコーヒーを飲んでいる。
コンビニの店頭なら農作業の合間や仕事を終えて、作業着のままで周りに気兼ねをすることなくコーヒーブレーク。

確か鳥取県はスタバが進出していない唯一の県だとか言っていたと思うけれど、いつの間にかセブンイレブンがニッチなcafeマーケットを取り込んでいるのかもしれない。

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2013.05.30

三浦雄一郎さんの無事の帰国に安堵

Photo
     ※写真はミウラドルフィンズホームページより

三浦雄一郎さんの80歳でのエベレスト登頂。
挑戦を表明された報道に接したときには、まさか!?と自分の耳目を疑った。しかしそれは本当だった。
前回75歳での挑戦と成功も驚きであり、奇跡に思えた。いや、その5年前の70歳でさえそうだ。

そもそも、エベレスト登頂に挑戦し始めたのは、50代で世界7大陸最高峰からのスキー滑降を成功させた後に目標を失ってしまい、次の目標を探し求めた結果。ちょうどバブルスタートの頃からバブル崩壊後10年ほどの期間、三浦さんは目標を失っていたことになる。

まさにそのど真ん中の1991年、僕はアメリカズカップに挑戦しているニッポンチャレンジの取材と観戦のために、3週間サンディエゴに滞在した。ニッポンチャレンジの広報責任者は三浦エミリさん。そう、三浦雄一郎さんの長女。そしてエミリさんの運転手代わりにこき使われていたのが、当時アメリカに留学していた次男の豪太さんだった。

バブル崩壊直後の1993年、船橋にららぽーとスキードームSSAWSが作られ、マスコミ向けのお披露目が行われた。その時、数年ぶりにエミリさんと再開。そして三浦雄一郎さんを紹介された。後にも先にも唯一このとき、三浦雄一郎さんと名刺(既にクラーク記念国際高等学校校長だった)交換をし、お話をさせていただいた。その時は、校長の名刺に違和感を感じたのを覚えている。

今回のエベレスト挑戦では、豪太さんは雄一郎さんと共に頂上を目指し、エミリさんは日本で現地との連絡と後方支援を取り仕切っていた。日本全国では、クラーク記念国際高校の生徒さん達が固唾を呑んで見守り、登頂の成功を祈っていた。
5月23日、三浦雄一郎さんは世界最高齢の80歳で、息子の豪太さんと共にエベレストの頂上に立った。ベースキャンプでは長男の雄大さんが、日本の自宅事務所ではエミリさんと奥様が、北海道をはじめとする日本全国では、教え子達が静かに喜びを噛みしめた。マスコミの騒ぎとは対照的に。
家族や身近な人は知っているのだ。帰り道こそが大変だということを。無事に帰国するまでは本当には喜べないことを。
そして、昨日無事に帰国を果たされた。
僕も、やっと今回のエベレスト登頂成功についてここに書く気になれた。

下山で、途中からヘリコプターでベースキャンプに戻ったことについて一部で非難されているが、なんでそんな事で非難する必要があるのだろうか。80歳の体力の消耗と疲労から危険を回避するために必要であっただけのことで、正しい判断だったと思う。もしもくだらない見栄やべき論で命を落とすようなことがあったら、折角の偉業も、「登頂成功も下山途中に非業の死」と見出しが立つ。そんなのを誰が見たいものか!

雄大さんも近く帰国し、家族全員揃っての食事。その時がこの挑戦の本当の完了。その日が待ち遠しい。
家族一丸での挑戦と成功。本当におめでとうございます。

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2013.05.25

シビアなライズに2時間対峙

1305251s
5月も後半になると、日中はすっかり夏日で暑くなる。前日は日田で35℃をを越える猛暑日となった。
暑くなることを覚悟しながら、今年はまだドライで良い魚に出会えていない梅野川へ再び。
途中の松原ダム、下筌ダムは大幅に減水していた。この2つは治水ダム。梅雨を目前に、放水を続けているのだろう。昨年のような大雨が降らないとも限らない。到着時の中津江の役場前の温度表示は13℃。

さて、いつもの場所に流星号を停めて、ドライでそれらしいポイントを選んで釣り上がる。ダム同様に梅野川も相当に減水していて、ただでさえヤマメが付くポイントが限られていたのに、なおさらシビアな状況。
気温も上がって水棲昆虫の姿は見えないので、アントを流れに投入する。ブラインドでは魚の反応は悪くないがチビばかり。最初のポイントのプールでは、いきなりヤマメがフライをくわえたが、残念ながらバラシ。まあまあのサイズだったか。
その後、期待するポイントでは魚影は見えていても、やはりシビア。フライをとっかえひっかえしても反応してくれない。
そして、青い鉄格子の上流の小さなポイントで、やっとドライで出会えた23cmのヒレピン。

1305257sしかし、その後が続かない。水量が減り、魚もなかなか反応しない。
堰堤より下の下流部では、一番大きなプールにどうしてもヤマメは溜まってしまう。ここでは、散発ではあるがライズもあるし、魚影も見える。腰を据えてここでライズを狙うことにした。
当然、見えるようなサイズの虫を食っているわけではない。岩盤沿いでライズするヤマメに狙いを定めて様々なフライを流すも、フライのすぐ隣でライズしてもフライには反応無し。どうやらティペットが見切られている様子。ティペットを細くしてフライ先行で綺麗に流さないとダメということか。
見える魚影は尺はありそうなものばかり。さすがに9xでは無理だろう。ギリギリ8X。
#28のミッジピューパから#24のユスリカアダルトまで、様々な小さなフライを流すこと2時間。やっと出た!しかも大きい。
1305256sしかし、それからが長かった。#24のフライに8Xのティペットなので慎重にならざるを得ない。
ネットに収まったヤマメは泣き尺の29cmちょい。尺には届かなかったけれど、ドライで釣り上げた1尾は嬉しい。

午前は結局この1尾の後はヤマメの反応は出会えず、一度川を上がって昼食に。
流星号に戻ると、後ろには山おやじさんのクルマが。僕があれだけ同じ場所で粘っていても追いつかないと言うことは、ずっと下流から、遅めにスタートしたのかな。

1305258s最近、お昼はこの丸太の椅子?に座って川の様子を見ながら食べることが多くなった。3色ご飯弁当、ごちそう様でした。
ここから一度下って釣り上がるが、やはりシビア。ドライでは反応が全く無く、結局沈めて尺ヤマメを1尾。しかも、このヤマメ、体の傷に見覚えがある。13052513s13052511sC&Rだからこそだが、リリースした魚はちゃんと元気に暮らしているという証だし、一方で何度も釣られているのだから、フライには敏感にもなるのは当たり前ということ。
午後は、前にも後ろにも釣り人が居て、自分のペースで釣れないまま納竿となった。

山おやじさんのクルマは、まだそこにあった。

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2013.05.19

浅草三社祭

20130519_140912s浅草三社祭がクライマックスを迎える最終日。三社祭を近くで見たことが無かったので、散歩がてら出かけた。

福岡・博多では、祭りといえば博多祇園山笠。
博多祇園山笠は重い山笠を担いで、決められたコースをいかに速く駆け抜けるかというタイムレース。目標がはっきりしていて、参加者も見る者もわかりやすい。日本テレビの人気番組「世界の果てまでイッテQ」で、宮川大輔が世界のお祭りに挑戦するが、どのお祭りも基本は何かを競うものが多い。
しかし、三社祭はそのような明確に競う物は無く、始まりは舞の奉納や山車が中心であったというので、むしろ博多どんたくに近いのかもしれない。各町内の山車の絢爛さを競っていたのがいずれ御輿に変わり、その威勢の良さを競うようになったのだろうか。そして関西のだんじりや博多山笠のように、御輿に乗る者も出たのだろう。「御輿に乗る」と言う言葉もあるくらえいだから、昔から御輿に乗る行為はあったのだろう。しかし、乗る人間が居ればそれを担ぐ者も必要。誰が乗って誰が担ぐのか。この序列、関係性は難しい。かつては本社御輿に乗ることを競い合って諍いも絶えなかったようで、数年前から御輿に乗ることは禁じられたようだ。
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ぶらぶらと浅草を散歩すると、そこら中に町ごとの御輿が練り歩き、にぎやか。御輿の前には囃子の山車が先導し、子ども御輿もそれに続く。
道路に面した扉はどこも開け放たれ、玄関には靴がぎっしり。遠くの親戚や友人もたくさん集まっているのだろう。歩道や空きスペースにはテーブルや椅子、中にはゴザを敷いて酒盛りや食事。町中がハワイのビーチサイドのテラス席のような様相。

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大人も子どもも、朝から祭り一色。御輿を担いだり山車を引いたり、酒盛りしたりで午後も3時を過ぎる頃には、もうお疲れモード。いなせな半被のママと僕も日陰でお昼寝という姿が、路地裏のそこここで見られた。

20130519_144537s最後に雷門に周り、宮出し、宮入のために畳まれた大提灯を確認してぼちぼちと川沿いに帰路に着いた。
それにしても、浅草寺と浅草神社が隣り合い、参道が共通なのでややこしい。

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2013.05.15

ああ、青春の沖縄

中学校ではブラスバンド部に所属し、トロンボーンを吹いていた。
1年生の夏、中学生のブラスバンドコンクールで県大会(九州大会だったか?)で優勝すると、全国大会は沖縄で開催されることになっていた。当時はまだ日本に返還される前の沖縄。渡航するにはパスポートが必要だった。優勝して、みんなでパスポートを申請することを夢見ながら練習に励んでいたが、残念ながら………
優勝できなかった悔しさなのか、沖縄に行けなくなった喪失感からなのか、その日は塾に出かけたものの途中から家に引き返し、塾を休んだことを覚えている。
翌年、沖縄は日本に返還された。
パスポートを手にしたのは、失意のコンクールから10年後となった。

結局、初めて沖縄の地に足を踏み入れたのは、1977年12月。大学に入学し、米軍基地周辺の騒音を測定するアルバイトで、2週間滞在した。もちろん、渡航にパスポートは必要無い。まだ自動車は右側を走り、ウイスキーなどの洋酒は空港で免税で購入できた。当時は牛肉が高級品、ビーフステーキは憧れの食べ物だったが、沖縄では安く食べられた。ブロンドの女性を生で見たのもこの時が最初だった。慣れない左ハンドルと右側通行のため、騒音測定のサポートのために用意された10台以上のレンタカーは、半数以上が事故を起こした。

20130515_222938s騒音測定は、12時間ごとの1日2交代。僕は夜の部で、19時から翌朝7時まで、基地の滑走路の延長上や山の上の公園、畑の真ん中……様々なところで夜を過ごした。見上げた夜空には満天の星が輝き、数え切れないほどの流れ星が流れた。沖縄でもオールナイトニッポンは聞くことができ、タモリや鶴光が、暗闇の中の孤独な時間を癒やしてくれた。
2週間のバイトを終えて福岡に戻る飛行機の中では、小さなクリスマスケーキが供された。クリスマスイブだった。
そのバイトで手にしたお金で購入した中古のヤマハCA1000Ⅲは、今でも現役でここにある。

翌年、1978年7月30日、道路の車道が左右入れ替えられ、クルマは本土と同じ左側通行となった。

沖縄がアメリカから日本に返還されたのは、41年前の今日、1972年の5月15日だった。


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2013.05.12

ドライでイブニングの釣りがしたくて

1305125s昨日の梅野川の釣りは、良い魚には出会えたものの、ドライではチビヤマメしか出てこなかった。そこで、ドライフライで気持ちよく釣りたい!と1ヶ月ぶりに古湯へと足を運んだ。

午前中は用事もあり、午後からの釣り。といっても、今回はイブニングがメイン。
年老いた両親と暮らす福岡では、週末は19時過ぎには帰宅して風呂に入り、20時から夕食というのが暗黙のルール。50を過ぎたこんなおっさんに、門限があるのだ!だから、梅野川では17時前、古湯だと18時までには納竿しなければならない。

ところが、今日は父が町内会の集まりで20時くらいまで帰らないという。ということで、僕の門限も20時となり、久しぶりにイブニングの釣りが楽しめることになったのだ。

イブニングだけ行けば良いのではあるが、やっぱりもっと釣りたい。欲が出て出かけたものの、いやー、今日の古湯は暑すぎた。20130512_122652s増水してポイントが絞れないうえに雲一つ無い晴天で、暑いばかり。ヤマメも岩の影から出てこないだろうし、水面のティペットもくっきりはっきりに違いない。暑すぎる午後、2時間ほど釣り上がったが、全く反応なし。2度ほど魚影は確認できたが喰う気配は無い。先に来ていたflyfisherもルアーマンもお手上げの様子(ルアーマンは1尾、flyfisherはハヤばかりでヤマメは0)。

釣れない上に日焼けで疲れて、一度流星号に戻り、お茶とお菓子。ハヤ釣りの方やちょうどやって来たflyfisherと話をしながら小休止。

一休みで元気を取り戻し、再び川に戻ったものの、まあ、状況は変わらない。
釣るというよりもイブニングライズに備えた場所とりみたいなもの。橋のすぐ下の土管前に陣取り、ほとんど1時間近く岩の上に座って時間つぶし。川面が日陰になり始めたのが16時半。この頃から、イブニング狙いの釣り人のクルマが続々と到着。その中には山おやじさんのクルマも見える。
1305122s岩の上で1時間。だるまさん程ではないが、待ってる間に救急車がやってくるという、山間部ではあまりみない光景にも出会った。1305123sそんな待ち時間の後、水面にはハヤのライズが見えるようになる。飛んでいるのはほとんどがユスリカだが、コカゲロウや大きめのカゲロウも混ざるようになってきた。しかし、ヤマメのライズは見当たらない。それでも、いずれはヤマメもライズするに違いない。それを信じてライズに合わせてフライをセレクトし、流してみると、案の定ハヤやカワムツばかりが喰ってくる。そんな中に、ヤマメのライズを発見。どう見てもユスリカにライズしている様子。
#22のCDCピューパを流すと、やっと出た!今日初めてのヤマメ23cm。
胸びれがまだ再生していない放流魚だけれど、嬉しい!その後、18時半を過ぎる頃からはスピナーフォールも始まり、水面はライズが盛んとなり、#18のメイフライパターンに変更。
ヤマメがジャンプして食いに来たりと反応は良いものの何故か乗らない。喰ってもバラシの連続。それでも、ライズにドライの釣りはバラシても楽しい。気づけば19時半近くとなり、さすがに納竿しなければと言う時刻になったところで、2人のflyfisherがやってきた。ちょうど良いタイミング、2人に状況を伝えて場所を譲り流星号へ。
山おやじさんにも一声掛けたかったが、上のプールで集中している様子だったので、そのまま帰路に着いた。
途中、母親と飲む日本酒を1本買って20時半帰宅(ちょっと門限を越えた)。

それなりに充実した1日だった、と言うことにしておこう。
明日は首のMRI検査だ。

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2013.05.11

くやしい、どうしてもドライで出ない-麦秋の1日

13051117s天気が良くなるとの予報を信じて、梅野川へ。
しかし、午前中は雨中の釣りとなってしまった。
前日からの雨で水温も下がっていたのか、魚の活性も低い。尺をあげたプール深くにニンフを沈めても全く反応無し。まあ、ゴールデンウィーク後半4連休では、さんざんにいじめられたことだろうから、ヤマメも学習しているはす。午前中、唯一反応があったのは岩盤のくぼみに張り付いていたヤマメ。サイトフィッシングで極小のドライフライを流し、2度口を開けさせたもののフッキングに至らず。
午前中は1尾も取れずに昼食。

天気も回復して気温も上がった午後、流星号を移動させて驚いた。今シーズン最高のクルマじゃなかろうか。午前中も僕の前に先行者が入っていたことはわかっていたが、これほどにいたとは!いつもの所に流星号を止め、準備をしていると、午前の釣りを終えて上がってきた釣り人が。前回話をしたここの常連さん。
「これが流星号ですか?私の流星号はあっちに止めてます」と。
あ、このブログを読まれたな。
確かに「梅野川」で検索すると、このブログが上位に上がってくるし、釣行日時や内容を見れば僕だとわかる。
「どうでしたか?」と尋ねると、尺を数尾あげたとのこと。うらやましい。
しかし、ドライではなく沈めて。やはり雨も降っていたし、ドライでは無理だったようだ。

13051113s気温も水温も上がった午後は、プール中心に良い魚が顔を出してくれた。残念ながら尺は出なかった(1尾かけたが、さんざん走られて最後はバレてしまった)が、泣き尺、9寸2尾、8寸越えなど、どれも回復した魚体は美しい。特に泣き尺のヤマメは薄くピンクの衣をまとった美しさ。
こんなヤマメに出会えるからこの川は良いのだ。

13051124s今夜は1日早い母の日で、両親と食事する約束なので早めに納竿。そこへまた新たなクルマがやってきて声を掛けられた。
「これからですか?」
「いえ、もう納竿して帰るところです」
「下で入渓しようと思ったら、釣り人が多くて入るところが無かったんですよ。
先週(GW後半のこと?)は、1日釣って全く反応なし。写真も撮れないくらい暗くなって、やっと1尾だったので、イブニングだけ狙いに来たのにこの釣り人の数ですからねえ」とのこと。
これじゃあ、魚も浮いてこないだろう。ドライでは厳しいはずだ。

帰り道では、筑後川の河川敷でモーターパラグライダーの練習場で一旦流星号を止めて様子を眺め、すっかり穂が色づいてきた麦畑の中を走り、麦秋を堪能した1日だった。
13051129s13051134s

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2013.05.09

MRI初体験

ゴールデンウィーク初日、中津江への釣行の際に体の異変を感じた。
右足が妙に重いのだ。
もともと、右手右足が冷たくなりやすく、いわゆる冷え性だとは思っていた。で、冬は寝るときにプロサッカー選手などアスリートも愛用しているというイオンドクターのレッグウォーマーを着用するようになった。これがなかなかに調子が良い。
Dsc08029s寒い冬をなんとかやり過ごし、やっと暖かくなって釣りを満喫できると出かけた途端に右足に違和感。アクセルを踏む右足が重い。別にしびれるとか痛いとかではないのだが。
まさか、脳梗塞の前兆?どうしても気になり、4月30日に脳神経外科クリニックを受診、MRIを予約した。

MRI検査当日。いざ検査のために入室しようとしたら、目の前の壁に首/腰の脊椎検査のことが張り出してある。読むと、自分の症状に似ている。前にもパルメの会で病院の先生に話をしたら、神経系の検査をした方が良いかもね、と言われていたのを思い出し「首の検査も一緒にしてください」と申し出た。しかし、頭と首を同時にはできない。今日はいずれか一つにして、もう一方は別の日に、と。先生は「重要度から言えば、まずは脳の検査を先にするべき」と、脳のMRI検査を先にすることとなった。

検査室に入る前に金属製の物を全て体から外し、検査台の上に仰向けに横たわり頭を軽く固定された。
「どんなかんじなんですか?」と僕。
「痛くも何ともないですが、うるさいですよ。工事現場にいるような」と技師の女性。
「何かあったらこのボタンを押してください」とボタンの付いたグリップを右手に付けられた。

技師の女性が部屋の外に出て間もなく、「タンタンタン」と、コンサートの始まりにドラマーがスティックを慣らすような音がして、その後「工事現場の音」が始まった。
工事現場のようでもあるが、どちらかというと、めちゃくてへたくそなロックバンドの演奏のようでもあり、また昔のゲームコーナーにあった射撃ゲームの機関銃のようでもあり、そんな音が鳴り続けたと思えば一旦鳴り止み、また「タンタンタン」の後に「ダダダダダダ」の繰り返し。
およそ20分くらいだったのだろうか。うるさくはあったが、妙にいろいろと頭の中では集中できる時間でもあった。

10分ほどして先生に呼ばれて診査室へ。自分の脳の輪切り写真を見せられながら解説を受ける。
結果、何も悪いところは無し。脳内の血管にも詰まり無し。くも膜下出血などの心配もまずは無さそう。
血液検査の結果は-尿酸値がちょっと高い以外は問題なし。はい、尿酸値、承知しておりますです。

検査費用は、先日の初診料・血液検査もろもろ合わせて2日で約8000円。8000円で安心できるのなら高くはないか。
あとは首の検査でさらに5000円ほどかかるけれど、なんだかちょっとだけ心は軽くなった。

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