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2012年10月の記事

2012.10.30

個人の理不尽な意見と地域文化の衝突

Dsc00050母校の同総会役員会を終え、居酒屋に場所を変えてお疲れ様会。大学の現状の話を聞いていたら、学際の火祭りにクレームが有るというので驚いた。
「うるさいからやめろ」と。

芸工キャンパスの火祭りは、学際のメインイベントとしてかれこれ40年以上続いている。専門棟の真ん中にあるフライパンでの空間構成やコンサートも名物だ。小さな大学(今は九大の一部のキャンパス)ではあるけれど、畑の中にできた小さな大学から、地域と一緒に発展したと思っている。なのに何故?

周囲が田んぼや畑しかない所に大学ができ、それをきっかけに大橋駅周辺は大きく変貌した。
その結果、マンションやアパートなどの集合住宅も多数建てられ、大橋駅周辺は高級住宅街となった。不動産屋がどんな売り文句でマンションや住宅を販売しているかは知らない。多くの人がここに移り住んでいるが、地域の文化を無視してはいけない。
塩原の地は、芸工キャンパスと共に発展したと言っても過言ではないはずだ。
既に、芸工キャンパスとそこにいる学生、大学行事はコミュニティの中核であるはずだ。
いわば大学城下町。
門前町に引っ越ししてきて、神社やお寺のお祭りに、「うるさいからやめろ」というのか?

Dsc00054そして、もっと驚いたことに、大学はそのクレームに対して毅然たる態度がとれないということ。
そこらの事なかれ主義の役人と一緒じゃないか。誰に向いて仕事をしているんだ。
地域住民も参加する、学生と地域住民とのコミュニケーションの場ともなっている祭り。多くの子ども達や住民も楽しみにしている祭りをやめるというのか?

                    ●
今年の夏、節電で夜クーラーを停めて窓を開ける家が多かった。すると、夜、小学校のプールの水を浄化するために動かしているポンプの音がうるさいとクレームが入った。昨年までは無かったクレーム。しかし、その小学校は、そのクレームのために、夏休みのプール利用を中止した。
子ども達がどれだけ落胆したことか。

Dsc00055小学校の職員(校長?教育委員会?)は、多くの子ども達の笑顔よりも、たった一人の住民のクレームに対応することを選んだ。これはこの夏に福岡市で起こったバカげた現実。

                    ●
来月、大橋キャンパスで火祭りが例年通り実行されるか?
芸工大が、九大と統合してオリジナル・原点を忘れてしまうのか?

学生までもこれを忘れ、良しとするのであれば、渾沌会は九大とは別れて、芸工大OBのみの会となるのかもしれない。

※写真は2003年の学園祭火祭り

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2012.10.27

ぶらり昭和を散歩

Img_1584s実は、と言うわけではないが、大学の同総会会長となって5年になる。本部は福岡だが、支部が関東(東京)と関西にあり、それぞれの支部総会に出席するのも会長の役割でもある。そういいながら、今年の関西支部の総会には出席できなかったので、関東支部総会には何とか出席しようとこのためだけに東京にとんぼ返りした。
確かに同総会に出席するための上京とは言っても、その前後は時間があるので、少し散歩をすることに。

同総会の会場は日本橋。
そこで、息子の高校の学園祭に顔を出した後、大回りをして都電荒川線で早稲田へ出て、そこから日本橋へ向かうルートを選んだ。
Img_1585s都電荒川線はホームから次の駅のホームが見えるような、バス感覚の路面電車。乗客は地元のお年寄りばかり。たまに高校生や子ども連れの家族が乗り込むが、みな日常の足として使っている地元の人のようで、観光客は少ない。車輌の幅も狭く、ひょっとしたらバスよりも狭いのかもと思えるくらい。そんな電車がゆっくりと何度も止まりながら終点を目指す。

終点の早稲田に到着すると、そこから先に線路はない。
早稲田で降り直ぐ目の前の神田川を覗くと、両側からは桜の木が大きな枝を張り出している。春はさぞ見事な景色なのだろう。神田川もここまでは清流の余韻を残すが、もう少し下るといきなり川の水深は深くなり、見慣れたどんよりとした東京の河川の姿となる。
神田川の水辺を楽しむのならここまでだ。

早稲田大学大熊講堂前を通って東西線の駅へと向かい、渾沌会関東支部総会へ。約3時間のぶらり旅を楽しんだ。

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2012.10.24

2人の新たな門出を祝って

Img_1567s福岡商工会議所の理事N氏の古稀のお祝いと、日比谷花壇さんの上海進出を引っ張っていたF氏の65歳の誕生日祝いを、我が事務所で。
魚市場のW氏は鯛の尾頭付き、仲卸のF氏は、鳥取の山で栽培されるキクラゲを、他の出席者は思い思いにお酒を手土産に集まった。
クレマンドブルゴーニュ2本、CAVA2本、ボルドーの赤1本、焼酎2本他……

65を過ぎてなお事業に対する意欲が旺盛な2人。
他のメンバーも同様。
我が事務所が世界を、上を目指す若者の梁山泊になれればと思っていたが、このままではリタイアしてなお元気な先輩達の梁山泊になりそうな勢い。
先輩の元気も嬉しいが、若者もガンバロウ!

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2012.10.22

たまには「くさや」も良いもんだ

Img_1561s半年に1度のペースで声がかかる、NグループのN社長からのお誘い。しぶーーい昔ながらの居酒屋(できれば土の土間があるような江戸や昭和の情緒が残るお店)が好きで、N氏が見つけた気になる新しいお店を2人で探検するのだ。
Img_1559s今日は日暮里の豊田屋。
2人で飲むときは、いつもスタートは18時。東京で18時スタートなんて、昔の僕には信じられない事だったが、最近はそういう世界があることもよくわかる。それに、18時であれば、予約無しでもどんな人気居酒屋でも普通に入ることができる。
店に着いたときには他にはお客は1組だけ。そしてNさんは既にサンマの刺身を肴にビールを飲んでいた。
Img_1560s僕はビールは飲めないので、ハイボールを注文。
すると、「角にしますか、ハイボールにしますか?シングル・ダブルどちらで?」と即座に問われ、僕は「角をシングルで」と応える。
運ばれてきたのは、氷と角をシングルだけ入れられた大きなグラスと、炭酸のボトル。炭酸水は初めて見るなんだか可愛いボトル。よく見ると地元のメーカーではないか!
Nさんは、こういう居酒屋の目に見えないコミュニティというか繋がりを感じるのが好きなんだろう。

メニューには福岡では絶対に見ることがない「くさや」も。
銀座のオシャレな店でも出ることはない肴を注文し、東北被災地の日本酒をしこたま飲んでお開きとなった。
たまには、こういうおじさんだけの、おじさんの世界で飲む酒も大事だ。

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2012.10.21

なんでいつも息子には大物がかかるんだ

Img_1555s珍しく次男が一緒に釣りに行きたいというので、2人で朝霞ガーデンへ。
自然渓流は禁漁となり、埼玉県内の公園や豊島園のプールがまだ釣り堀になっていない今、行き場がない釣り人がここに集まっている感じの秋晴れの午前。ポンドの周りは釣り人でいっぱいだった。

ポンドはフラット。快晴で水面のティペットは、水中の魚からははっきりと見えているだろう状況。ドライフライには厳しい。それでも#24のクイルボディパラシュートでなんとか1尾。その後も、フライを替えながら数匹をあげるも、なんともしぶーーい時間が過ぎる。
周りを見ても、ほとんど釣りになっていない。
Img_1553s残りあと30分を切った頃、次男のRODがしなる。
ラインの先には悠然と泳ぐ大きな魚体。
ゆっくりと引き寄せ、ネットに納まったニジマスは優に50cmを超えていた(ランディングネットの全長は52cmなので、それを余裕で超えている)。
今日、息子のタックルには、雑に扱っても切れないようにとティペットに5xを結んでいた。一方、僕のタックルは7x。ティペットに5Xを結んだのは恐らく初めての経験だったが、それが功を奏したのだろう。

この1匹が、今日唯一の息子の釣果。
数は釣れないが、こいつはいつも大きな魚を釣り上げる。

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2012.10.20

やはり紙の情報誌(リクルートブック)は必要だ

大学生の就職難が続いている。
我が家の長男も苦労しているがそれはさておいて、どうして就職難なのか?
求人数と求職者数の数字だけでいえば、そんなことはない。ワークス研究所調べでは、2013年卒業予定者の求人倍率は1.27倍。全国の民間企業の求人総数は、55.4万人、学生の民間企業就職希望者数は、43.5万人で求人の方が多い。数の問題ではなく、最適なマッチングができないためで、このままでは多くの学生が就職できずに4月を迎える。

Img_0545s_2今年のノーベル経済学賞は、マッチング理論とマーケットデザインに関する研究でアルビン・ロス米ハーバード大学教授とロイド・シャプレー米カリフォルニア大学ロサンゼルス校名誉教授に決まった。これはちょっと中身を理解するには高度すぎるが、この研究が進むと様々な分野で最適なマッチングが可能になりそうだ。
将来はこの理論を元に、就職を目指す学生と求人する企業とのマッチングが簡単に行われるようになるかもしれない。その時は、締め切りを決めて企業、学生がそれぞれ必要項目を登録、スーパーコンピュータかなんかでバッチ処理でマッチング結果を出して、「あなたのベストな就職先はここです。受け入れますか?」と通知されることになるのだろうか。そうなると、ビジネスモデルも変わるだろうが、なんかSF映画の誤った未来像みたいで現実にはならないだろう(なって欲しくない)。

将来はどうだろうと、今の状況(就職難)になった原因の一つが、NETに依存しすぎた就職・求人活動だろう。
そもそも、学生も企業も高望みをする。
デジタルなマッチングだけでは、現実の姿と高望みとのギャップは埋められず、ある程度のふるいにかけた後は実際に対面しながらその溝を埋めたり深さを測ったりするのだ。
最初の段階-学生が企業検索を始める段階で、多くの場合は既にギャップは発生しているのだが、デジタルに処理されるとそのギャップを埋める術がない。検索条件を変えながら色々探すにしても、大半の企業は本来ならマッチングするべき学生の目に触れることはない。その結果が就職難の実態ではなかろうか。

デジタルでは、反応の速さや正確さが求められる。そこには、偶然やひらめきが入り込む余地はない。一方、人生は偶然や出逢いの連続によって編み上げられ作られていくものだ。
先のpostでも書いたが、僕が、進学リクルートブックで偶然目にした防衛大学校を受験したように、紙の情報誌であれば、思いもよらない出逢いや発見もある。就職活動も、紙のリクルートブックが無くなった弊害は小さくない。いや、むしろ学生の人生を考えれば、出会えるべき機会を奪ってしまったと言って良いかも知れない。規格化した基準に乗らない、数値化できない価値、魅力、思いは、情報項目からは見えてこない。人は人に引き寄せられて集まるものであるならば、人の魅力をデジタルに数値化して伝えることは難しい。そもそも大学卒業時点で自分のやるべき事、一生涯取り組むべきことを決めている、わかっている人間はほんの一握り。ほとんどはゴールの目的地を決めずに、時間制限だけがあるラリーに出発するようなものだろう。
かくなる上は、「犬も歩けば棒に当たる」ではないが、とにかく現実世界で動き、人に会うことだろう。
昔は「若者よ、書を捨て街へ出よう」と言ったものだが、今は「若者よ、モニターから離れて街へ出よう」だろうか。

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2012.10.16

愛国心と英語のトラウマ

父の叔父で、外国航路の船乗りがいたと子どもの頃によく聞かされた。
そんなすり込みがあったのか、子どもの頃から船が好きで、戦艦大和や護衛艦のプラモデルをよく作っていた(船のプラモデルは軍艦か帆船くらいしかなく、帆船は高くて難しかった)。
大学は神戸商船大に行きたかったが、その当時は商船不況。求人率が3割台で、卒業しても船には乗れないと言われた時代。それに加えて、社会の試験科目が世界史のみで、カタカナの名前と英語が苦手な僕にはそれだけでハードルが高かった。そして最後のとどめは3年に上がる前に父の転勤。大阪へ単身赴任となり、僕が神戸や東京などの大学に行くと、福岡と大阪+1の3箇所で生活費がかかり、そんな余裕は我が家にはないからと地元の大学へ進学することが絶対となった。
高校3年の春、日本リクルートセンターが発行する「進学リクルートブック」が教室で配られた。これがリクルート(日本リクルートセンター)という会社との初めての出逢い。まさか、後にこの本の編集に関わるなどこの時には思いもしなかったが、こんな事典のように分厚い本をタダで配る会社って何をしているのだろう?という事は考えた。

それはさておき、この本で海上保安大学校や防衛大学校の存在を知った。どちらも学費も生活費もタダで船に乗れる。卒業すればそのまま船に乗る職業に就ける。海上保安官も海上自衛官も、日本の国を守る誇り有る職業だ。護衛艦の模型を作っていた僕は防衛大学校に興味を持ち、担任の先生に話を聞いてみた。すると数日後、帽子に制服を着た自衛隊の人が2人、突然我が家にやってきた。
要件は簡単、是非受験して欲しい、と。
まあ、いわゆるスカウトである。
防衛大学校の受験日は、通常の大学よりも随分早くて(確か夏くらいではなかっただろうか)合格しても入学を強制することはないので、模擬試験のつもりで良いから受けてみないか、とも。

かくして、護衛艦に乗ることになるかも知れないという期待とも不安ともとれない気持ちのまま、僕は防衛大学校を受験することになったのだが、結果はあえなく不合格。英語の点数がとにかく悪かったらしい。
この不合格の後、受験勉強に取り組む姿勢も変わったのは間違いない。

それから30年、防衛大学校を受験したことも、不合格になったこともすっかり忘れていた(人間、自分に不都合なことは記憶から消そうとするらしい)。しかし、竹島や尖閣問題の報道に接しているうちに、突然ふと思い出した。
もしあの時に合格していたら、今回の問題は当事者としてもっと真剣に、具体的な各論で国防のことを考えているのだろう。場合によっては現場に向かうことになっていたかもしれない。

進学リクルートブックを自宅に持ち帰った友人の中には、「高校で3年生全員、これを買わされた。2000円」と親に言って小遣いをせしめた強者もいた。その彼は東京商船大学へと進学した。
僕はといえば、地元の国立大学に滑り込み、ヨット部に入った。そして今でも、相変わらず苦手な英語を克服できずにいる。

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2012.10.15

北朝鮮拉致被害者5人が帰国して10年-南北朝鮮のTopが変わる今年だから考える未来

北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国、以下北朝鮮)に拉致された被害者を、小泉総理が連れ帰って今日で10年。もう10年も経ってしまったのかという想いを持つ人は多いだろう。
しかし、今日の報道では、iPS細胞の森口氏の臨床疑惑や兵庫の不可解な行方不明・遺体発見に関する事件、パソコンの遠隔操作で犯罪を起こしたという犯行声明、日本維新の会の動きなどに隠れて、北朝鮮拉致被害者帰国10周年に関する話題はすっかり霞んでしまった。
そんな中、数少ない拉致被害者に関する報道に触れながら、頭の中をぐるぐるといろんな事が駆けめぐった。

そもそも、朝鮮が南北に分断されたのは第2次世界大戦後、冷戦下の東西対立が生み出した朝鮮戦争が発端。
同じように冷戦下でドイツは東西に、ベトナムも南北に分断された。カンボジアもその影響で内戦状態となりクメール・ルージュの大虐殺からポル・ポト政権へ、その後のベトナムとの対立など南北冷戦は世界中に様々な影を落とした。
しかし、ベトナムは終戦後南ベトナムが消滅し南北ベトナム統一、ドイツも1990年にベルリンの壁が崩れて統一ドイツが誕生。カンボジアもベトナム軍撤退後は民主化してシアヌーク国王のもと、政治の安定を取り戻すと国内は安定し、永世中立を宣言した。
こうやってみると、同じ民族国家が東西冷戦などの外圧で分断されても、いずれは再統一するのが歴史の必然と思える。
じゃあ、分断国家の南北朝鮮も、いずれは再統一へ進むというのが歴史の必然と考えるのが自然ではないだろうか。金正恩第一書記はスイスに留学して世界に接していたし、グローバルな視点で今の北朝鮮を見ることはできているはずだ。冷静に自国民の幸福を考えれば、一つの選択肢は南北朝鮮の統一だろう。
軍部の反発はあるだろうし一筋縄ではいかないだろう。それよりもベルリンの壁の崩壊のように、あるいはアラブの春の様に国民や軍人が雪崩を打ったように民主化・反体制に動く事さえ考えられる現状では、早く自分の逃げ場所を確保して、南北統一を成し遂げた偉人という立場を確保する方が得策だと考えても不思議ではない。

もし金正恩第一書記がそのような提案を大韓民国(以下韓国)政府に密かに持ちかけたら?
国際大儀でいえば否定する理由はない。拒否する理由があるとすれば、経済問題。今、韓国経済は絶好調。ドイツ統一の際には所得格差や産業技術水準の格差で一時的に混乱が起こったが、克服できた。朝鮮の場合はその格差は一層大きく、混乱はドイツの比ではないだろう。それでも、冷静に考えれば戦争をするよりもはるかに損失は小さいはずだ。個別の企業は別な思惑が渦巻き抵抗も有るに違いないが。
拒否すれば核ミサイルだって打ちかねない国である。そんな事を持ちかけるときには、核をちらつかせるくらい当たり前。その時にはもう拒否はできないだろう。
もう一つの心配は、中国とアメリカとの関係。大韓民国は、大戦後の歴史的背景からも親米ではあるが、こと竹島をめぐる領土問題では中国にすり寄っている感じがある。領土問題では、(竹島と尖閣の共通の)敵の敵は味方という事だろうが、そうすると今度は米中の間でコウモリのような存在になってしまいかねない。そのような状況で南北朝鮮統一等というような話が進んだとしたら、統一朝鮮は国際社会の中でどちらに近い立ち位置を表明するのか?次の韓国大統領はある程度想定しないわけにはいかない近未来ではなかろうか。

さて、翻ってもし南北朝鮮が統一するとなったら、その時日本はどう振る舞うのだろうか?
これも想定外なんていうことはあり得ない想定できる近未来の一つの姿であるはずだ。

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2012.10.14

中国のIMF総会ボイコットは単に逃げただけでは?

48年ぶりに日本で開催されたIMF総会。なんと前回は東京オリンピックの年、オリンピック開幕直前の9月に開催されたのだそうだ。
そのIMF総会に中国は、尖閣問題を理由に代表出席を拒否した。
中国外務省の報道官は10日の定例記者会見で謝財政相らの欠席に関し、「中日関係に困難な局面を引き起こした責任は完全に日本が負うべきだ」と表明し、11日にも外相自ら欠席は「完全に適切だった」と述べ、日本政府による沖縄県・尖閣諸島国有化への対抗措置との認識を示唆したという(共同)。
これに対して、IMFのラガルド専務理事や各国メディアも色々とコメントしているが、僕は単に「逃げた」だけではないかと思っている。

中国は、日本を抜いて世界第2位のGDPの経済大国となった。この経済力を背景に、国際社会で影響力を手に入れようと、世界各国に進出し様々な要求と発言を繰り返している。今回のIMF総会でも、出資比率を引き上げて発言権を高めようとしたらしいが拒否されたとされている。一方、CO2排出削減目標についてなどでは、いまだに自らを「発展途上国」だとして相応の負担から逃れようとしている。日本からの3兆円を超える過去のODAも当然のこととしている節がある。今の中国は急激な経済成長の影で所得格差が広がり、アラブの春に至った中東各国と近い状態。戦前の日本のように情報をコントロールし、自国(中国)は国際社会に対してこれだけ影響力を持ち、要求しているという姿を国民にアピールし続けなければならない。政府(共産党)は国を正しい方向に導いているのだと。
そんな中、国境を越えて世界経済の安定を議論する会議に出席して(国民に向けるような)自国の主張を展開したら、大人の国際社会の中では単なるわがままな子どもの国に成り下がりかねない。だったら、日本を悪者にして逃げてしまおう、と思ったのではなかろうかと。
国内の政府・体制批判をかわすことのみに中国政府が邁進し、このまま日本を悪者にしながら国際社会の中で孤立することも考えられる。最悪の場合は日本との国交断絶、軍事衝突(尖閣諸島への強硬上陸)にまで発展することも想定しなければならない。東日本大震災よりも、より具体的に想定できる未来の一つの姿であることは否定できないだろう。
日本の企業も2万社以上が中国に工場や拠点を置き、観光客も含めると今この瞬間にも数十万人の日本人が中国に滞在しているはずだ。大震災のように突然その時が訪れたとしたら、日本人はどのようにして帰国するのだろうか。日本政府はその時を想定してオペレーションを組み立てているのだろうか?
もちろん、企業は従業員とその家族を帰国させるタイミングと方法のシミュレーションも。

考えたくはない未来ではあるけれど、自然災害よりも予測可能な近未来の一つのシナリオとして想定しておく必要はあるかもしれない。

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2012.10.13

EX-IC card で途中下車するには

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このブログで、検索サイトからのアクセスで毎日上位に上がっている検索ワードが「EX-IC card 途中下車」。
そんなにEX-IC card での途中下車に困っている人がいるのかとびっくりしてしまう。まあ、確かに僕自身が大変な目にあった事も事実ではあるが。

という訳で、NETでの新幹線予約を整理してみる。

続きを読む "EX-IC card で途中下車するには"

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2012.10.12

森口氏の「iPS細胞初の臨床」疑惑の報道って?

昨日駆けめぐったニュース「iPS初の臨床応用 心筋細胞作り患者6人に移植 米ハーバード大日本人講師ら」。
山中教授のノーベル賞受賞に続くこのニュースに、マスコミ各社は大騒ぎし追随して報道した(上記も追随記事)。

しかし今日は一転。怪しい講師として疑問の目を向けている。
確かに昨日の会見と今日の会見では、まったく別人のような対応。昨日の会見は、酔っ払ったオヤジが酔いの勢いに乗じてみんなが喜びそうなジョークを、喜色満面に振りまいているような、何かの賞をもらったタレントの会見を見ているような感じ。
対して、今日(昨深夜)の会見?はずっと目を閉じて何を考えているのかわからないような、いたずらをした小学生がそのことを先生にとがめられて、頭の中が真っ白になって何も応えられないといった感じだった。

最初に報道したとされる読売新聞列びに読売系列のテレビ局のニュースサイトの該当する報道ページは、既に削除されて見ることができなくなっている(だから冒頭は翌12日23時でも閲覧できる産経ニュースを紹介)。
そもそも最初に報道した記者(媒体)は、今日森口氏に投げかけているような質問(裏取り)を最初の段階でしていたのだろうか?それもせずに話題性とスクープを狙って報道したのであれば、報道機関として浅はかな勇み足ではなかろうか。それをまた裏付けもなく後追いする他のマスコミ。井戸端会議で注目されるために、有りもしない嘘をつく目立ちたがりと、それを取り巻く有閑マダムでもあるまいし。

今回報道された「初の臨床」が事実でないとしたら、一義的には森口氏の最初の会見?が問題ではあるが、それを真に受けて裏取りせずに報道してしまった報道機関にも相応の責任は有る。これから森口氏がどういう対応をし、どのように社会に向き合うのか?もしこの報道が誤りであったとしたら、最初に報道したマスコミの責任は重い。対応が間違っていなければ、はしゃぎすぎた森口氏の酔いを醒ますことができたかも知れない。
最悪の事態は考えたくはないが、マスコミ(社会の目)に追いつめられた結果は、過去においてはあまり良い結末は迎えていない。
こういうニュース・報道に接すると、僕が近くにいたらこんなことさせなかったのに、最初に相談してくれていれば………と思うばかり。

当初の扱いの大きさに比べて、現地の報道機関はほとんどこのことには触れていないということにも注目したい。
また、誤報を流したと認識したのであれば、一度流したニュースページを削除するのではなく、そのページにお詫びと訂正なりを追記するのが本当の報道・ジャーナリズムの姿勢ではないだろうか。

※13日追記

最初に報道した読売新聞は、一連の報道を誤報として13日朝刊で「お詫び」を掲載した。
読売新聞の「iPS心筋移植」に関する記事の報道の経緯
読売新聞東京本社編集局長のお詫びコメント

しかし、この記事もいずれ削除されるのだろう。

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2012.10.09

一風堂~麺の坊「砦」~ggg~G8ギャラリー亀倉雄策~ボルドー

思いもかけず、自分の過去を色々と振り返る事になった一日。

始まりは渋谷の神泉での打ち合わせ。近くに麺の坊「砦」があったので、久しぶりに覗いてみることにした。
Img_1501sこのお店は、一風堂で長く修行し、恵比寿や新横浜ラーメン博物館のお店の店長も務めて独立した中坪さんのお店。僕の記憶では、一風堂から初めて河原さんのお墨付きをもらって独立したお店。
開店した当初は、夜中によくラーメンを食べに行っていた。それこそ暖簾を入れて片付けに入っているようなときにもガラス越しに顔を出して店を開けてもらい、無理矢理にラーメンを食べさせてもらったりもした。今思えば迷惑をかけていたな、と。
Img_1502sそんな麺の坊砦にも数年顔を出していなかったので、久しぶりに覗いてみたのだ。
残念ながら中坪さんはお店にはでていなかったが、開店当初にはメニューになかったつけ麺を堪能。開店時にコストを抑えるために自分で壁を塗ったというお手洗いには、可愛い子供用の踏み台が置いてあり、なんだがほっとした。今は新横浜ラーメン博物館にも2号店を出店している。ガンバレ!

表参道のクライアントさんを訪問後銀座へ移動。次の打ち合わせまでに約1時間の時間があったので、銀座グラフィックギャラリーgggを覗いてみた。Img_1507sAGI展。ここで懐かしいクリエイターの名前と作品で目の保養をしてふとチラシのラックを見ると、G8ギャラリーの文字。そこには「亀倉雄策の書棚」と。
亀倉さんの書棚をG8ギャラリーに再現(本を移設)して見せてくれているというので、足を延ばすことに(といっても数分)。
Img_1508s残念ながら、写真を撮ることは許されなかったが、懐かしい亀倉さんの体温、声に触れたような気がした。これは良い企画だ。大迫さんが去ってもG8ギャラリーは頑張っていた。

Img_1510sG8ギャラリーを後にし、昭和通方面に歩いていくと、蔦に覆われたこれまた懐かしいお店が目の前に現れた。
31年前、新卒で福岡から右も左もわからないまま上京し、東京で暮らすことになった22歳。夕方仕事をしていると、当時の部長が「ちょっと飲みに行こうか」と。入社したての新人にとっては部長は遠い存在で断る理由など有るはずもなく、「はい」と連れて行かれたのが「BORDEAUX(ボルドー)」。
銀座でも最も古いバーの一つと言われる重厚なお店。
当時はまだ世の中も今よりものんびりしていた。それなのに部長も心なしか緊張しながらお店に入ったような気がする。きっと、料金も緊張するようなお店だったのかも知れない。

銀座は僕の人生において、大きな意味を持つ場所。物の価値観や人生観、人との繋がりなど様々なものを学んだ場所。たまにはこうして「銀ブラ」も楽しいものだと思うとともに、思いがけず色々な思い出を記憶の引き出しから取り出した一日だった。

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2012.10.08

ピンと来ない体育の日

今日は体育の日で休日。
しかし、休日であることはわかっていても、「体育の日」であったことはあまり意識になかった。

僕にとって、今でも体育の日は東京オリンピックの開会式が行われた10月10日のイメージだし、成人の日は1月15日だ。そもそも、ハッピーマンデーと称して日付固定ではなく月曜日を祝日にするようになって、海の日、敬老の日はもう何の休みかよくわからなくなっている。もともとの制定も遅かったし、その日(もともと海の日は7月20日、敬老の日は9月15日)に決めた背景もなんだか後付けでどうでも良いような決め方だった。

かつて、体育の日は運動会が全国で開催され、農村などでは稲刈りを終えて収穫の祭りも兼ねた地域のお祭り※だった。しかし、ハッピーマンデーとなり3連休になると、そもそもの目的である余暇の充実、観光振興の意味合いからも運動会を体育の日に開催するのを避けるようになった(学校行事の分散で先生の負担を減らす目的もあるようだが)。今日も体育の日だからといってそれらしい行事はほとんどなく、娘の通う大学に至っては、普通の月曜日と同じく授業が組まれているのだそうな。

かくして、昨晩帰宅した娘を、早朝車で寮まで送り届け、その足で午前中だけ朝霞ガーデンで釣りをしてきた。
20121008
娘のおかげで、ちょっとだけ体育の日らしい(動かしたのはほとんど右腕だけだったが)休日となった。

※今、農村などでは、若い世代の家族と子どもの減少で小学校すら統合・廃校となり、運動会を開催することさえ困難となっている現実がある。釣りに出かけた山村の小学校で、運動会が開催されていると、とても暖かい気持ちになる。
Photo
文部科学省のホームページから取った画像だが、右のグリーンの児童・生徒数は恐らく教員数の誤り。
Photo_2
僕が小学校に入学した頃の昭和40年と比べると、小学校・生徒数はどんどん減っているのに、教員数は増えている。教員一人あたりの生徒数も現在は平均26人。学校を統廃合するのはなかなか難しいので、学校・学級の減少数はそれほどではない。それだけに、生徒数の地域格差は年々開いていることは想像に難くない。

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2012.10.06

山下達郎の曲と共に

山下達郎のベストアルバムOPUSが発売になり、もちろん早速購入。ほとんどのアルバムを持っているのに、なぜかまた買ってしまう。

最初に購入したアルバムは「GO AHEAD!」、もちろんアナログの30cmLPレコード盤。どのアルバムからCDに変わったのだろうか記憶は定かではないが、最後にアナログのレコード盤を購入したときには、CDと同時発売されていた。
そのアルバムを購入した頃、山下達郎が所属するSmileの社長は今でも交流があるUさんで、ときどき達郎氏のことも話をしていた。今でもその時の会話のいくつかは覚えている。

当時のアルバムには、アカペラの曲が1曲入っていたので「アカペラの曲って、(一人で何回も歌って重ねるのは)録音が大変でしょう?」と尋ねると、「達郎は音感が優れているから音がぶれないので、逆に早く終わるんだよね」と。
言われてみれば、コントロールが難しい他人よりも、自分一人で完結する方が楽かも知れないと感心した。
僕がレコード盤のアルバムの方を購入した話をすると、「圧倒的にCDの方が取り扱いが簡単だから、これからはCDに変わってレコードは無くなるだろうね」とも。

Dsc07713そんなことを思い出しながら、今朝の朝日新聞 be の山下達郎インタビューを読んだ。
彼は、ミュージシャンではあるけれどアーティストであることには拘っていない。テレビに出ない、武道館公演をしない、本を書かないという「3ない」のポリシーにも、理由がある。
このタイミングでベストアルバムを出したのも、「CDがまだ健全な流通に乗っている間にベスト盤を出しておきたかったから」。パッケージ販売がなくなり音楽配信だけになったら、アルバムでの購入は必要なくなる。
ミュージシャンであり、冷静なマーケターでもあるからこそ、40年近くヒット曲を世に送り出し続けられるのだろう。

CDが流通している間に、「On the street corner」も新しいアルバムを出して欲しいと願うのは僕だけだろうか。

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2012.10.05

数々の訃報に接して

今週は、流通評論家の金子哲雄さん、文化功労者の俳優、大滝秀治さんを始め、たくさんの訃報が世の中を駆けめぐった。
プライベートでも、かつて一緒に仕事をした先輩方の訃報が次々と知らされた。どれもSNS、facebookを通じて。かつては電報で受け取っていた報せ。
訃報はできれば受け取りたくはないものだが、知らなければ後で色々と考えてしまうし、知らなければ知らないままで良かったのにとも思うことがある。SNSの情報伝達力は両刃である。

数年前から、葬儀関係はできるだけパスしようとしている自分がいる。
不義理は承知のうえ。
面倒くさいとか、時間がないとか、そういうわけではない(もちろん、東京と福岡を行ったり来たりしながらの生活で、物理的にその時自分の体がそこに行けないこともある)。5年前から既に悩んでいた
年老いた両親と月の半分とはいえ一緒に暮らすようになり、いずれはその時を迎えることを意識するようになった。そのうちに「死を迎えること」、「死を受け入れること」、「死を共有すること」について考えるように。そして、自分が喪主となった時にはどうなのか、自分の知らない人が大勢弔問に来たときにどう振る舞って良いのか、とも。
83歳の父は、自分が死を迎える時の事を心配しながら、「終活」に取り組み始めた。僕も、死を迎えるときのことを意識するようになった。そして、「自分の死」のその時についても。
自分だったらどんな葬儀が良いか、誰の弔問を受けたいか、あるいは受けたくないか。
葬儀とは儀式である。誰が、何のために執り行う儀式なのか?
そんなことを考えると、最近近親者だけの密葬が増えていることにも納得がいく。

コミュニティというものがしっかり存在し、一人の死をコミュニティ全体の損失、悲しみと受けとめた時代(そう、昭和はそういう時代だった)と今は違う。コミュニティが希薄になった今、「知人の死」は自分とは遠く離れたできごとであり、義理や人情よりも打算や体面が前面に現れるイベントになろうとしている。葬儀の後のお返しも大変だ。

故人と自分との関係を振り返り、その時にその場に行くべきか、どこでご冥福をお祈りするのが良いのか、と。

そして今夜、「最高の人生の見つけ方」をテレビで見ながら、人生に悔いを残さない生き方とは何かを考えている。
そんな時に、恩人とも言える人の訃報(まだ不確定)が飛び込んできた。
お世話になった方の訃報に接して、これからどう振る舞って良いかわからない自分がいる。

山下達郎の「ヘロン」ではないが、SNSよ、訃報を運んで来ないでくれ。

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2012.10.02

オスプレイ配備を機に、基地問題を考える

オスプレイ6機が普天間基地に到着した。
岩国から普天間まで約1000㎞を2時間、ノンストップで移動。1000kmといえば、羽田~福岡間とほぼ同じ。民間旅客機(ジェット機)でも約1時間半。それを考えると驚くべきスピードだし、途中給油も着陸も無し。これがヘリコプターならこうはいかない。
なるほど。
オスプレイを直接沖縄に運ばす、一旦岩国に陸揚げしてそこから普天間へ飛ばした。沖縄の反発もあるだろうが、1000kmを飛行させてそのポテンシャルを実際に見せるデモンストレーションでもあったと思わざるを得ない。日中・日韓の領土問題がこじれて、彼の国々は軍事衝突もじさない姿勢で日本に対峙しているこのタイミングだ。

ところで、どうしてオスプレイはだめなのだろうか。旧式のヘリコプターの方が安全なのだろうか?
仮に、オスプレイが日本が開発した航空機であったならどう反応するのだろうか?発想はどうであれ、技術的には日本で開発しても不思議ではないだろうし、メーカーは安全な機体を作れると言うだろう。なら、日本で作れてアメリカで作れないのか?
今、オスプレイ配備に反対している人、特にマスコミは何が問題なのかを整理できていない気がする。数年前、アメリカで続けて起きたレクサスの事故原因が、車の欠陥であると決めつけて報道が始まったのを思い出す。
そもそもオスプレイは民間機でも自家用機でもなく、軍用機だ。開発、配備の目的は明確であり、安全保障上の穴を無くすためにより優位な道具を持つのは当たり前。日本でも昨年の東日本大震災の際には、被災地への物流手段の確保がいかに大事かをいやというほど思い知ったはずだ。経済活動においても戦争においても、前線への補給路の維持は戦線の優劣に大いに影響を与える。現時点で、その最適な選択肢の一つがオスプレイであることは間違いない。

一番の問題は、普天間の市街地に基地が存在することである。
政権が民主党に移った際に、辺野古への移転をひっくりかえしてしまったことがそもそもの始まり。行き場を失った普天間基地はそのまま動けず、その間にも世界各地で紛争や衝突が発生し、アメリカ軍は常に臨戦体制に置かれている。前線基地なのだ。

福岡空港は、かつては板付基地だった。福岡も基地の街だった。朝鮮戦争では前線基地として、ベトナム戦争では後方支援基地として、板付基地から米軍機が頻繁に飛び立っていた。小学生の頃だったか、世界最大の輸送機C5Aギャラクシーが板付基地に降り立ったときには、高い建物がなかった当時、遠く離れた我が小学校の窓からもその機体が見えていた。

基地の街の住民の悩みは、不埒な米兵の行いを除けば、
1,基地が存在することでの危険(標的になる、戦地になる可能性)
2,24時間の騒音(深夜であってもスクランブルや偵察飛行で戦闘機が飛び立ち、その際の基地周辺の騒音は100dbにもなることがある。実際、大学生の時に、基地周辺の騒音測定のアルバイトに参加したが、SR-71 ブラックバードの夜間発進の時にはもの凄い轟音だった)
3,基地を離発着する航空機の墜落(板付でもf4ファントムが九大に墜落した)の危険性。特に戦地から戻る機体は何らかの損傷を受けての帰還もあり得る
などが考えられるが、これは配備されている機体がオスプレイだろうがCH53だろうが変わらない。CH53ならびに46の墜落や事故は、これまでも普天間基地周辺で数多く発生している。

福岡空港が板付基地だった頃、金網のフェンスの向こうにはジープに乗った米兵が常に巡回していたし、夜中でももの凄い爆音で戦闘機が離発着していた。滑走路南の道路には遮断機があり、ジェット機が離発着するときには、遮断機が下りて車を停めていた記憶がある。今でこそ地下鉄も繋がり市街地から近い便利な空港ではあるが、当時は田んぼの真ん中に存在する、特別な人のための場所だった。それでも市街地までその爆音は届いていた。

話を戻せば、基地が市街地に存在することが問題であり、オスプレイが問題ではないということ。ひょっとしたら、移転問題から目をそらすために政府・マスコミがタッグを組んでオスプレイを悪者にしているのかもしれないとさえ思えてくる。早急に、「基地」と「基地に依存する街の一部」をセットで移転させるしか解決の道はないと思うが、今の政権にそれは不可能であることは明白だ。

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